2009年12月4日金曜日

始まりの終わり

いままで1年半、出会いを求めてこのブログを書いてきました。

私の出会いとは、自分の中の未知なる可能性との出会い、視点を変えた気づきとの出会い、自分のいい所、悪い所を教えてくれる出会い、成功へのチャンスとの出会い。

このブログに書き出すことで多くのことを知ることができました。

しかし、本当の意味で知ったこと、それは、

求めていたもの、すなわち、仲間、家族、友人、お客さん、近所の方々、今まで接した多くのお世話になった人たちとのワクワクするような可能性と情熱に満ちた未来。すべての種は、このブログを書く前からもうすでにそこにあったことに気が付きました。芽を出し葉を広げ実をつけるその日まで、山あり谷ありがんばって生きていきます。




当ブログで、つたない文章でしたが、今まで読んで頂いた方々には大変嬉しく思います。ありがとうございました。

またどこかで書き始めたいと思います。では、その日まで。









2009年11月24日火曜日

レッツ・トライ

リラックスした状態で想像の時空を漂流する。そのなかで起きる出来事、きっかけ、事件、展開を体で感じる。考えるのではなく感じること。それを言葉にし、絵に描き、流れるイメージを脳からうやうやしく取り出す。きっと、それは禅や瞑想をクリエイティブな空想行為とむすびつけるもの。
大切なのは無理なく自然に肉体と精神の分離を試みる。そして無限に広がる可能性の頂から未来へのメッセージを拾い上げる。

留意点は次のとおり。
  • 目を閉じ、耳をすませ、ゆっくり息を吸い込み、風を感じて、大脳の導きに従う。
  • 五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を研ぎ澄まして「感じる」。
  • とにかく楽しむ。ふぜけることも効果的。
  • これは記憶を思い出す行為ではない。どんな小さなイメージでも映像として捉える。
  • 見えたイメージに対しての判断は不要。そのまま取り出すことを意識する。
  • 大事なのはフィーリングである。
  • イメージの姿、形、色、音、におい、味、肌触り、感触などを声に出して説明する。(現在形進行形で話すことが大事)
  • 説明は理屈抜きの感覚的、抽象的なものでよい。
  • イメージをキャッチするときに盲目的な感覚ではなく懐疑的ではあるが好奇心大盛なポジティブシンキングの姿勢を保つ。
  • 語られたイメージを絵にしていく。

取り出された絵を言語化して、あらゆる切り口から解釈する。

アインシュタインの言葉です。
「私の科学的な能力は直感から来る“サイン”や“イメージ”、視覚、聴覚、触覚などさまざまな感覚による“とらえどころのない遊び”により生まれたものです。あの相対性理論もこういった多くの要素を頭の中で組み合わせているうちにひらめいたのです。ですから私はこの“組み合わせ遊び”は創造的作業には欠かせないとても重要なことだと思っています。」(「頭脳の果て」から引用)


ひとりで行うときはICレコーダーがあるとGood!

Let's try!!


2009年11月11日水曜日

イメージ・ストリーミング

左脳は冷静、分析、論理、言語、理性、理屈、抑止、検査など客観性を重んじる働きがある。一度に限られた範囲しか認識できない。文章を読むときは文字を言葉にして一字一句読んで理解することを思い出せば左脳の働きは想像がつく。
一方、右脳は感情、直感、音楽、映像、創造、空想などのイメージを司り、独創的な洞察力を持ち、潜在意識や無意識の世界が広がっている。そして右脳は膨大な量の情報を一瞬にして処理する。

以上のような脳の基本的な働きを前提にイメージ・ストリーミングを考えてみる。

情報は多くの場合、関所である左脳によりまず処理される。そこでは左脳は言わば「判断のフィルター」になっている。「これはおかしい」や「こうあるべき」というジャッジにもとづいて情報はフィルタリングされる。多くの場合、このフィルタリングによって次の行動がパターン化されていく。取り込まれた情報は右脳に届き、無意識のなかで過去の記憶と混ざり合い、イメージがわき上がる。このイメージが流れることをストリーミングと言い、実は右脳の中では常にイメージが渦巻いている。それは寝ているときに夢という形で現れることもあるし、覚醒しているときにふっと白昼夢のような形で現れることもある。

この右脳の中のイメージの流れが、驚きを伴って識別できれば、今までにないアイデア、問題の斬新な解決方法などをひらめくことにつながる。

誰でも一度は寝ている夢のなかですばらしいアイデアを思いついた経験があるだろう。そんなときのイメージをそのままの状態で意識的にキャッチできれば大きな「気づき」につながるということだ。
ただ、多くの場合こうした「気づき」は左脳によるジャッジが厳しいため、そのサインに対する驚きは冷静さと共に半減し薄れる。「ああ、それはこういう理屈でおかしいんだよね」「現実には無理だよ」と思ってしまえば、「気づき」のサインは萎縮してしまう。イメージは否定や拒絶に弱いのである。

こういったことを前提に、もし左脳を介すことなく右脳に直接働きかけることで驚きを持った新鮮なイメージがそのままの姿でキャッチできれば。。これが「イメージ・ストリーミング」である。



2009年11月7日土曜日

イメージからアイデアを

教育心理学者であるウィン・ウェンガー氏が著書「頭脳の果て」の中で創造的問題解決法として紹介しているイメージ・ストリーミング。

今年のマイ・ベストにエントリーされる本である。

創造的問題解決とは、言葉のとおり問題を創造的に解決しようとするもので、頭のなかに浮かぶイメージを明らかにすることで、潜在的なアイデアを掘り起こし、なかなか解決しない問題に新しい切り口で対処しようと試みる手法だ。

我々の周りに横たわるなかなか解決しない問題には例えば次のようなものがある。

  • 今後3年のうちに売上高を倍増するためにはどんな戦略があるか?
  • 新しい製品・サービスをどういうコンセプトで打ち出していけば成功するか?
  • 我々の存在意義はなんであり、どのような使命があるのか?
  • 社員の生活を豊かにするための具体的な方針は何か?


挙げていけばきりがない上記のような問題は、今日明日で解決しなければならないほど緊急ではない。しかし非常に重要であり、棚上げにしてしまってはいつまでも解決しない厄介な問題といえる。
このような問題を解決しようと日々いくら熟考しても、一向に解決策を見出すことはできない。いったいどうしたらよいのか?分らないので、とりあえずそのままにしておくことしかできない。それ以上に、日々はやるべきことがいっぱいで、いつも緊急で重要な問題を片付けていくことに集中せざるおえない。

こんな状況を打開し、人生をよりよいものにするためにイメージ・ストリーミングを知った。これは言わば人間の可能性を信じた手法である。五感を研ぎ澄まし、想像力を働かせ、イメージを捉えて、表現していくことで、今までの視点を変えた新しいアイデアを発掘し問題を解決していく。

現代では科学的根拠が欠けているものに対して懐疑的にならざるおえない社会通念がある。事実このような手法は、眉唾であったり、怪しげで嘘っぽいと判断されやすい。目に見えないものは信じられないというわけだ。客観性や数学的立証ができないものは価値がないのである。

しかし、人間の脳の中のすべての働きを誰が理解していようか。思考の行き着く先を誰が完全に把握していようか。大切なのは理論より実践なのである。そんな気にさせる本だった。



2009年10月28日水曜日

子を持って思うこと

昨日無事、元気な男の子を授かった。

まさに人間の原点に立ち会えたことに感動した。

よく子供は宝と言うが、大人もみんな最初は子供だった。当たり前だけど、社会は人間が作っているし、有史以来人間はより豊かな社会を夢見て歴史を作っている。

10年前には自分が二児の父になるとは想像もできなかった。人生とはなんと不思議なことか。
1999年は自分自身の内なる世界観を懸命に構築していた。

しかし今、確実に言える。自身の世界観はその外側から覗かなければ、バランスのよい穏やかで強く大きなものには成りえないと。

子供のため、教育のため、社会のため、国のため、未来のため、いったい自分は何のために存在しているのか。そんなことを考えさせられる出来事だった。これは考えなければいけないことだと思う。答えは必ずある。それは数学の漸化式のようなもの。

希望と可能性に満ちあふれた未来に向けてこれからもチャレンジしていきたい。




2009年10月8日木曜日

仕事と仲間

私事であるが、来週妻が出産する。男には母子共に無事を願うことしかできない。歯がゆいが、太古の昔から決まっている。

さらに産まれる日取りは誰にもコントロールできない。なので仕事が忙しいなかでこうした事態に立ち向かうには仲間が鍵になる。

今日、みんなに申し出た。「もしかしたら来週休みをもらったり、途中で抜けたりすることがあるかもしれないけど、どうかみんなの力を貸してほしい」と。

快諾とはまさにこのことだと感じた。みんな喜んでくれた。最高に嬉しかった。

人生とはひとりで成り立つものではない。感謝と謙虚な気持ちを忘れずに生きたい。

ありがとう。この恩は忘れない。


2009年9月23日水曜日

ゆるやかな人間関係

ウィークタイズ(weak ties)という言葉がある。社会学者マーク・グラノヴェッター氏による1973年の「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties"という仮説から来ている。

簡単に言えば、たまにしか会わない知り合いだ。例えば同郷の旧友、同じ大学の友人、前職の先輩や同期、子供の友達のお父さん、などなど。
頻繁に交流していた時期もあったが、今は何かの機会に会う程度、しかし再会すると非常に刺激を受ける。

こういう人たちとは日常の依存度が低い割に、すでに信頼関係ができており、たまに会って話すと、思いもよらず情報交換ができる。若いときにはなかなか受け入れられなかった関係も、歳と共にかけがえのないものだと思うようになった。

人的ネットワークでこうした「ゆるやかな人間関係」から得たものは、より密な人間関係よりも有益である。

それはいつも会っている人間関係からは得られない意外性、異質性、見解の相違、新鮮味、思いもよらない観点、などの「ズレ」がいい意味で重要な視点に気づかせてくれるのだろう。自分自身をいつもよりずっと客観的に見せてくれるのだ。

つまり、人間はひとりでいると、あるいは閉塞的な関係に陥っていると、いいアイデアも出ないということである。これは僕の好きなパラダイム・シフトへの入り口のひとつだ。


パラダイム・シフト : 発想の転換。固定観念の破棄。今までの古い見方から新しい見方に変わること。



2009年9月16日水曜日

ビジョンの意味が分った

今というこの瞬間の行動がもたらす結果はすべて自分にめぐってくることを書いた3年後の世界

これは日々のすべての振る舞いが未来を作っているという意味である。

例えば、人とぶつかったときに感情に任せて反応するのではなく、ぐっとこらえて、その人との将来の関係を想像して、どうなりたいか、どうあるべきかに焦点を当てて今の行動を選ぶということである。

それはメールを書くとき、提案を持ちかけられたとき、大切なことを教えるとき、言動、姿勢、表情、態度、物腰、歩き方までも、今日着る服を選ぶのと同じように、ひとつひとつの行動や反応を選択するのである。
それはすべて3年後につながっている。

逆の言い方をすれば、成るようにしか成らないという刹那的な発想は捨てる。

3年後に照準を合わせて今を生きるのである。

そしてこの3年という月日はいつまでも縮まることはない。時間の経過と共に照準も移り変わるのである。


この考え方の利点は、成果はすぐに出さなければならないとか、問題は瞬時の判断で回避しなければならないとか、すぐに答えを出し、すぐに対処する、などなど、判断の早さが重視されがちな視点から逃れることができる。
すべては将来の姿を想像するという視点が重要なのである。これがビジョンである。

こう考えると心にゆとりが出てくる。日々急いだり焦ったりする必要はどこにもない。物事の真意をゆっくり考えればいいのだ。そして時間をかけて対処すればよい。ときには待ってもいい。時間はゆっくり流れているのだから。




2009年9月8日火曜日

3年後の世界

現実は厳しい。
思うように進まない仕事。容赦のない要求。責任という名の圧力。あっという間に過ぎ去る時間。期待を裏切る人間関係。
これだけ頑張っているんだから、分って欲しい、得るものがほしい、と無意識に見返りを求めている。
いっそのこと全てに背を向けたほうがどれだけ楽なことか。

と、最近、特に心で嘆いていた。。

しかし!ついに発見した。自分の原則を。
物事は見方ひとつでいかようにも変わる。

『3年後の世界を想像しながら、今この瞬間に課せられたあらゆる物事を判断し思考し行動する』ということである。

つまり、今起きている日常の選択のひとつひとつ、喜怒哀楽、仕事上の問題や、友人、家族との関係、感情のゆらぎ、これらすべてに対する自分の認識の行き着く結果は、3年後の自分に降り注ぐことになるということだ。それを想像し、どうなりたいか、どうあるべきかを基準に今の行動を選んでいく。

3年後の世界は今作られている。3年後に成果に結びつくのか、失うことになるのか、それは今の判断と思考と行動のひとつひとつにかかっている。未来はコントロールできるのだ。
少なくとも後悔や不本意な失敗はなくなるだろう。未来に対しても責任を自覚するのだから。人の言葉に踊らされたり、物やお金に依存したり、自己嫌悪に陥る確率も減る。そして逆に本当の意味での心の自由と人生の有意義さを獲得できるだろう。

これに気が付いた。




2009年8月13日木曜日

「道」

"万物の根底には「道」がある" とは老子の言葉である。

「道(タオ)」とは万物を万物として成り立たせている大いなる存在、何ものにも依存しない、目には見えぬ「無」としか言いようのない存在。
そこには善も悪もない、是も非もない、強いて表現するならば無心、無欲、無為といった超越の真理。

老子はこう語っている。

「天地の初めよりまえに、ある混沌としたものが存在した。それは音もなく形もなく、他の何ものにも依存しない存在である。これこそ天地の母に他ならない。その名前さえ知らないので、仮に”道”と呼んでおこう。強いて名づければ”大いなる者”と言ってもよいかもしれない。」


このような大きな存在でありながら「道」はいささかも主張することなく、誇ることも、思い上がることもなく、静かに息づいている。

これを体得することは、すなわち厳しい現実を自由にしなやかに品位を持って生き抜くことを意味している。


こんな生き方を心がけたい。



2009年8月11日火曜日

「契機」を考える

「情熱」と「能力」のつづき。

「契機」は英語で opportunity または chance だが、日本語でもきっかけ、好機、偶然、タイミングなどのニュアンスがある。

それはあたかも自分ではコントロールできない天からやってくる代物のように感じる。

しかし実はこれは偶然の産物ではない。自ら求め、あるいは与えうるものなのだ。

どういうことかというと、私事の話をしよう。

私は30歳を迎える少し前に生涯を独身で貫こうと心に決めたことがある。それは本当のパートナーをこの世から見つけることが絶対に不可能だと考えていたからだ。よく言えば理想が高く、悪く言えば結婚に悲観的だった。むしろひとり気ままに生きていくことのほうが充実した人生を手にすることができる。そう考えていた。

しかし、結果的にその考えはひとりの女性と出会うことで、もろくも崩れ去った。瞬く間に恋に落ちたとはこういうことである。もちろん、結婚が成就するためにあらゆる手を打ったことは言うまでもない。

出会った瞬間から人生が変わったわけである。

この契機はなんだったのか。単なる偶然ではない。人生のうちの限られた出会いのなかで、最大限にその出来事を受け入れ、行動、決定する意思、そして選択の自由が私のほうにあったのである。

つまりきっかけを生かすも殺すも本人しだいなのである。

それは生きている限り、場所が変わり時間が経過する限り、無数に存在しているのである。

それを掴むのは自らの視点と行動でしかない。

こう考えると今置かれている状況、立場はすべて自ら選択したものだと分かる。

そしてこれから起きる未来も自らの意志なのである。偶然はない。


成功の条件は「情熱」と「能力」と自ら選択し行動し最大限に生かすことのできる「契機」である。



2009年8月5日水曜日

コーディングし続けるその先に

聴覚を失った偉大なる音楽家ベートーヴェンにこんな逸話がある。

彼は膨大な数の楽譜の断片を遺したそうだ。しかし作曲するときにそれらの楽譜を見ることはなかった。

ではなぜ楽譜を書くのかと聞かれてこう答えたという。書かなければ忘れる、しかし一度書けば一生忘れない。

これは書くという行為の学習性を示している。

思考を脳から取り出すことが記憶として浸透させるきっかけになる。



我々の世界で言えばソースコードは、書くだけでなく設計をしてコーディングして動かして検証するまでの一連の作業を通して出来上がる。これを共同作業で。

これは書く以上に幾重もの開発作業を重ね、言わば脳からうやうやしく取り出される。当然、記憶にはいやでも焼きつく。

そういう意味で一度書いたソースコードはそのときの多忙な出来事と共に記憶され、いずれ「あ、昔なんかこんな感じのコードを書いたっけ。。あのときは大変だったなあ。」とかなんとか言って、昔のソースコードを探し出すのである。

そう考えるとコーディングし続けたその先に、いずれ集大成である「作品」が待っている。




2009年7月20日月曜日

「情熱」と「能力」

成功の条件は「情熱」と「能力」と「契機」である。これは記憶によればピーター・ドラッカーの言葉だ。しかしいつのまにか体が覚えている。

僕が最初にソフトウェアの世界に入ったのは1994年。それから15年。取り巻く技術キーワードとスタイルは多様化している。しかしその本質はなにも変わっていない。効果的な仕事の進め方、設計の重要性、コーディングがソフトウェアの品質を左右する理由、テストとバグの関係、リリース手順の明確化などなど、どれも実務的なものの考え方は同じである。ピーター・ドラッカー流に言えばこれらの職業観が変わるときに産業構造が大きな転換を迎えることになるのかもしれない。

僕が最初に触れたコンピュータ言語はCだった。Cの文法を学び、構造体を学び、ポインタを学んだ。それらのひとつひとつの技術要素は、コンピュータを知る上での玄関口だった。柔道に例えれば技(わざ)の習得である。形から乱取、実戦と進むことが、コンピュータの世界ではアルゴリズムなどの基本を知ることであり、データベースやネットワークなどの応用を使い倒すことであり、最終的にはシステムを開発する能力を身に付けることである。

これらの学びの道は仕事を通してさらに磨かれプロフェッショナルになっていく。そこには意欲的に打ち込む動機付けが存在する。好きとか楽しいとか知りたいとか人間的な基本欲求である。これが基盤となってやりがいを感じて「情熱」を持ち仕事に没頭する。

僕が働き出した最初の6年間は、この情熱の塊だったというつもりはない。つらいことの方が多かった。同期に先を越され、お客さんに詰め寄られ、上司に叱られ、残業続きで金よりも時間がほしいと思ったものだ。しかしこれらの苦い経験が厳しさと責任と根性を教えてくれた。自分はこの仕事に合っているのか、と何度、自問したことか。

しかしそれでもコンピュータの世界は知的好奇心をくすぐる宝庫だ。作ろうと思えば何でもできるこの世界が好きなのだ。アイデアしだいで何でもできる。それがインターネットにつながり無限とも言える広がりを持つことの魅力がたまらない。

こんな世界に浸かっていると知らず知らずに「能力」が身に付き、信頼を知り、仲間ができる。
それは時間をかけて「情熱」を傾けることで「能力」が開花するという意味である。

このようにして「情熱」と「能力」は手に入れた。もちろんこれらにゴールはない。さらに上に行く。

そして最近「契機」を考える。きっかけ、チャンス、偶然、タイミング。契機とはなんなのか。

(つづく)



2009年7月11日土曜日

ピンで生きる

ピンとはポルトガル語のpinta(点の意味)を語源とする「ひとり」という意味である。
ピン芸人と言えば想像は容易いだろう。

僕の根底にはいつも「ピンで生きる」がある。なぜか。それは39年間、人間をやってきて知った揺ぎ無い現実であり、挑戦であり、原動力だからだ。けっして、ひとりで生きていくという意味ではない。

自らの心得として改めて考えようと思う。

まず、利害関係の本質は助け合いではない。利害関係とは平たく言えば損得勘定である。需要と供給が合致する等価交換である。
それはビジネスであり、経済であり、生活である。

知るべきことは、自分がいったい何で生計を立てているかである。

これは人類が誕生したときから必ずや繰り返されている人間学だ。

たとえば、自分が失敗したときに周りの人間にどこまで甘えが許されるかを考えれば明白だと思う。その甘えは期限付きなのだ。その期限の長さはお互いの信頼関係の深さで決まる。
困ったときに助けてもらうことは「信頼」を引き出す行為であり、上手くいっているときは無条件で「信頼」を貯めていくことが大切なのである。

子供にはできないことだ。

「ピンで生きる」とは、ひとりひとりがこの他者との信頼関係の深さを意識して生きていくということである。

信頼はあるときはマナー、あるときは相談、あるときは約束、あるときは情熱、あるときは能力、あるときは品質、あるときはお金、さまざまな様相に取って代わる。

そこに重要なものはタフでシビアでオリジナリティのある生き様だ。つまり、へこたれず厳しさを持ち合わせた誰にも真似のできない自分らしさ。そこに妥協や諦め、甘えや依存、羞恥や恐れ、不平や打算はない。偽りのない行動があるのみだ。

そしてなによりも「信頼」を貸し借りではなく無償の愛として尽きることのないものとすることが大切だ。



この「ピンで生きる」行動があってはじめて「組織」の個が光り輝くのだと信じて止まない。




2009年7月6日月曜日

中学2年生に教えられたこと

休日は娘と近所の児童館で過ごすことが多い。
図書館に併設された区の施設で子供たちの遊び場の少なくなった都会の安全地帯なのだろう。小中学生がみんな自由奔放に遊んでいる。

娘とシンデレラのパズルで遊んでいると、少年が近づいてきて「囲碁やろうよ」と誘ってきた。お、珍しいな、と思った矢先、囲碁はやったことがない。。

少年が五目は?と言って碁石と碁盤を用意している。おもしろい子だな、と思って快諾すると早速打ってきた。売られた勝負は買わなければと、娘を横目に「よし」と打ち出す。
30年ぶりに五目並べをやった。少年がさくさく打ってくるもんだから、頭の回転が追いつかず1戦目は取られた。

「小学生?」と聞くと「中2」と。いまどきの中学生が囲碁か。。実は今年に入って囲碁がやりたいと思っていた。でも時間と相手がいない。。


五目でもいいやと受けて立ったが、これが結構面白い。相手の打つ位置を見て連なる石の方向から相手の動きを読んで並びを妨げる。そして、気が付かれないように仕掛ける。
結構熱くなった。2戦目に僕が勝ち少年も熱くなったようだ。少年が「俺と互角だな」と。ふふふ、伊達に大人はやってないよ。

何戦か交えるうちに、相手の手の内が読めてきた。少年は打つ石を好き放題に広げる。広げて並びそうな交点を拡散する。よく見ていないと忘れてしまう。
しかし忘れる頻度は少年も同じだった。碁盤の中の石はお互いにすべてを包み隠さず見せているわけだが、自分の手を進めていくうちに相手の行動が記憶から遠のいてしまうのだ。
重要なのは相手の動きと並びそうな線の組み合わせを読み、伸びる並びを阻止して、自分の手を仕込むこと。おもしろい。

後で調べたらできるだけ外に広がるように打つのはセオリーらしい。そして自由に好き勝手打てる先手のほうが有利なのだそうだ。少年が先手を取った回数が多いじゃないかと思い出したのは負けず嫌いの証拠かな。

ちなみに2つの石の並びからひとつ飛び越えて3つを並べた状態を「飛び三」(とびさん)という。

先を読み「飛び三」を交えて並びの可能性を広げていく攻めと相手の動きを予測して並ばせない守り、まさに相手に見えないものを先に見るというところは経営戦略と同じじゃないかと気付かされた。
そして、何よりも物事を大局的に捉える大切さ、「木を見て森を見ず」の状態が負け(失敗)の要因になることを実感した。盤を「よく見る」とはこういうことなのか。

ほんの小一時間だったけど新鮮だった。


ウィキペディアで調べると囲碁とかオセロ、連珠(五目並べ)はアブストラクトゲーム (Abstract Games) というらしい。説明はウィキペディアより引用すると、

広義には、名前通り抽象的(アブストラクト)で、元となった現実の出来事など(テーマ)とゲームの内容とが余り関係のないものになっているゲーム、あるいは具体的なテーマが全く存在しないゲームを指す。ただし、トランプゲームやカードゲームは含まれない。
狭義には、上に加えて
  • 偶然が関与しない
  • ゲーム内の全ての情報が公開されている
  • ルールが明解で解釈の余地はない
といった条件を満たすものを指す。


何がいいって、このAbstractという響きがいい。(Javaをやっている人には分かるよね)



2009年6月30日火曜日

ゴールはいつも始まり

うちのメンバが今年の春に行われた応用情報技術者試験に合格しました。

おめでとう!

これは本当に喜ばしいことです。この道を進む者としてなにより誇りになると自信を持って断言できます。

これは誰のおかげでもなくあなた自身が勝ち取った未来です。



こんな話があります。空手だか柔道だかで師匠に認められて黒帯を手にするときに、師匠が弟子に黒帯の意味を問いました。


師匠は言いました。「この黒帯を受け取る前にそなたの心境を聞かせてほしい」

弟子「いま最高の気持ちです。黒帯は言わば大いなる山を登りつめた証です」

すると師匠は「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はさらに一年修行を積んだそうです。

翌年、さらに力を付けた弟子を前にして師匠が「今年こそ黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」

すると、弟子は「黒帯は達成の象徴です。いま充実感でいっぱいです」と答えました。

師匠は再び「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はまたさらに一年修行を積んだそうです。

翌年、さらに大きな力を付けた弟子を前にして師匠が「黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」

すると、弟子は「まだこの道を究めてはおりません。まだまだやることがあります」と言いました。

師匠は「よくぞ悟った。ここから始まるのじゃ」と言って黒帯を渡したそうです。


ポイントは過去より現在、現在より未来を、ということです。

ゴールはいつも始まりなのです。




2009年6月27日土曜日

1Q84

実は僕は、世界中で村上春樹の書く小説がもっとも好きです。20年前に「風の歌を聴け」を読んで以来、彼のすべての作品(エッセイも含めて)は読み倒しています。
なにが嬉しいって、彼と同じ時代を生きている喜びです。生きている限り彼の新作が読めるのです。

5年ぐらいの周期で繰り返し繰り返し「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。思い立つと読み返したくなるのです。不思議に。

当然、先月出版された「1Q84」もAmazonで予約購入し読みました。


今日、読み終えて率直な感想を言わせてもらえればこうです。

娘を持つ父として、なぜこの本が100万部も売れるのか理解に苦しみます。

が、メッセージは受け取りました。(これがファンのなせる業です)



人の価値観は人の数だけ存在します。それは善悪ではないということは周知の事実です。もし法がある人の価値観で成り立っていたとしたら世の中の根底が揺らぎ崩れます。それほど、人の価値観は危ういものなのです。心の闇、感情の起伏、本当の自分は自分にしか分からないと思っている自我、弱く、欲深く、やっかいなものです。

もし、そんな、あやふやな判断基準の上に生活があり、経済があり、人生があるとしたら。。  いえ、 あるのです。

やっかいな人間が作り出した家庭があり、組織があり、集団があり、社会があるのです。


ですが、村上春樹の言わんとしていることは、僕なりにこう解釈しました。

当事者の心のフィルターを通さない事実は、真実ではない、ということです。

仮に一般論としての悪を内在する人間が現実に一般論としての悪に走ったとしても、当本人の価値観にその悪を認めるところがなければ、どんなに裁いてもそこに意味はありません。

そして、ひょっとしたら、悪を決めるのは多数決なのかもしれません。


そんな、現代社会の危うさを感じました。



2009年6月24日水曜日

役割と責任と富の分配

「高みを望む高潔な組織を作り上げる」という大いなる目標の具体的な形を見つけました!
その会社の名は「株式会社21(トゥーワン)」。 

テレビ東京毎週月曜日22時「カンブリア宮殿」で紹介され、長い間うやむやにされてきた真実を初めて知ったときの少年のようにテレビに釘付けでした。

私の夢がすでにこういう形で実現されていることに驚いたと同時に、疑いの余地のない確かな目標としてロックオンされました。


株式会社21(トゥーワン)とは広島に本社を置くメガネ屋さんです。掲げるミッションステートメントは「社員の幸せ」。難しいことはああだこうだと考えない、ということです。

驚いたことに会社の利益はすべて社員の給与と価格値下げに注がれ、年商80億あまりあるにも関わらず経常利益が数万円というのです。
怪しい経営でマルサがはいったほど。社員のボーナスは500万円を超えることも。なぜこれほどまでに社員に還元しているのか、その経営哲学が面白い。

社長さん曰く「内部留保ほど馬鹿らしく会社を消沈させるものはない。利益は余すことなくお客さんと社員に還元すべし」(個人的解釈済み)

内部留保とは簡単に言えば、決算で生じた利益を蓄えることで、会社経営上現金が必要なときに充当する資金になります。

経営では、決算で利益が上がっても現金がなければ会社を維持することはできません。支払いに対して入金は遅れるものだからです。

この資金のやりくりを資金繰りと言います。

株式会社21(トゥーワン)のすごいところは、会社に資金を残すことなく全額を社員に還元し、現金が必要なときには社員から借りる仕組みができているところです。

会社は社員の力によって、維持、発展され、資金繰りさえも社員によって支えられているというのです。

銀行からも借りず、社長の年収も社員と同等にして、役割と責任と富の分配が完全な民主主義の形態で構築されているのです。
ただ、不況時は社員に耐えてもらうこともあります。無給で働くこともあるでしょう。ですがこれは、いいときも悪いときも、言わばリスクもリターンも平等ということです。

感動を覚えました。

社員は会社を本当の意味での人生の一部にしているということを実感したのです。社員という個人が頑張らないで誰が会社を成り立たせるというのでしょうか。お金という現代社会の価値の交換の意味を本当の意味で理解できました。


私はこのような「会社」と「個人」が現実の生活として一体となるような組織を作り上げたい。



2009年6月16日火曜日

偉大なるGmail

僕も含めてうちのメンバは全員Gmailのヘビーユーザです。

使っているというか、もうこれがないとメールが整理できないほど依存しています。ひとたびGmailがトラブルに見舞われると精神的に大きなダメージをこうむります。。

幸か不幸か、そんなGmailの受信トレイはキューイングされたTODOリストにしか見えません。

この受信トレイをすっきりさせることが=(イコール)仕事の進捗です。「アーカイブ」ボタンを押すときが至福の幸せ。

帰宅した深夜も通勤時間も休日も、PCでも携帯でも、いつもGmailです。ポイントはいかに受信トレイに溜めないかです。

夢は受信トレイにメールが1件もないこと。




2009年6月15日月曜日

鍵は「仲間」

さまざまなTODOがひっきりなしに持ち上がります。楽しむゆとりなどありません。追われるままに対処しても、やり過ごしても、一向に減っていきません。
自分の管理能力と処理能力を疑います。

しかしです。はたと気が付きました。

一般的に出来るSEとは、同時並行的に複数の案件をひとりでこなしていけるだけの能力を身に着けているはずだ、という固定観念があります。

スーパーSEという呼称があるのかどうか、複数の仕事を掛け持つことがある種の一流の条件であり、同時並行的にさばけない人はダメなSEという烙印がおされる怖さがあります。そこには的確な優先順位と時間配分と人への振り方、そんなマネジメントの能力が問われているからです。

しかしこれはボトルネックを誘発する前兆だと思うのです。作業を掛け持ちした人は、その人がどんなに優秀でもどんなに責任感が強くても、掛け持ちの量が多ければ多いほど優先順位に関係なく各々の作業は遅れていきます。

マルチタスクのタイムシェアリングと同じです。時間分割されても作業が多ければその完了は遅くなります。人へ振るにしても、前もって教育やドキュメントに時間をかけなければ、効果的に引き継がれるわけはありません。

こんなことを考えてそれでも頑張らねばと思った矢先、気が付いた最大のショックは「このボトルネックの症状が自分にある!」ということです。仕事が自分に集中し、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃで全体が滞っているのです。悲しいことに。。

これはいけません。「貧乏暇なし」状態は成長の限界です。



改善の鍵は「仲間」です。助けてくれ!




2009年6月14日日曜日

落ちてます。

人生は思ったようには進めない、とは当たり前のことです。壁にぶつかったり、限界を感じたり、いやになったりすることは日常茶飯事です。「有意義な人生」を送ろうとするためには、相応の努力が必要です。

努力ってなんだろう?

自信喪失と自己嫌悪、自分の進むべき道を見失い、もがき苦しんでもなかなか霧が晴れて来ない。そんなときはどうしたらよいのか?

ときどき自分の理想が高すぎるのか、あるいは持っていき方が下手なのか、考えることを放棄したくもなります。

こんな言葉を耳にします。

「富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也」(論語)

”富と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり”

富と貴い身分とはこれは誰もが欲しがるものです。しかし、それ相応の行い(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければそこには安住しない、という意味です。

人生の成功はそれ相応の行いによってのみ手にすることができるという教えです。

この言葉が頭をよぎります。




2009年6月8日月曜日

いい仕事をする/残す

今日は、『いい仕事をする/残す』に着目したツリーを作ってみました。最終目標へのひとつのステップです。
この『いい仕事』を目標としたときに具体的にはどのようなことをしていけばよいのかを考えてみます。



基盤となるのは『やりがいがある、好き、楽しい』です。何はともあれこれがないといい仕事はできません。つまり出発点です。職業を選択するときにまず考えることだと思います。

ここから出発する具体的な行動とはなんだろう、と思案した結果、次の二つを挙げました。
  • 正義、真実を追究する : 大切なのは妥協しない心です。
  • 新しい自分の発見 : 飽くなきチャレンジです。能力を指します。

そして『新しい自分を発見』して、なおかつ『力強く、情熱』を持って仕事をし、『誠実』であることで、『影響範囲が広がる』と考えます。影響範囲とは、人に対すること、仕事に対すること様々なものごとの「自分自身の判断でコントロールが可能な対象の範囲」を意味します。影響範囲が広がれば広がるほど責任が伴います。

最終的に『いい仕事をする/残す』という目標は、具体的には『正義、真実を追究する』かつ『影響範囲を広げる』ことで達成することができると考えます。




2009年5月30日土曜日

最終目標

月1回のペースですが、うちのメンバ全員を集めて「会社組織としてのミッションを明確化する」ミーティングを行っています。これは、出発点として、
  • 組織は個人の集まりであり、各個人の価値観を尊重し合って仕事がしたい
  • 我々の存在理由、大切なもの、何のために働くか、将来どうなりたいか、を明確にすることで、毎日充実感を得たい
  • 考える過程でみんなの価値観を共有でき、その共通項を見出す作業が楽しい
  • 組織に浸透し活力となりうる理想を持つということを目標としたい

といった発想から始まっています。

このミーティングを通してメンバからはいろいろなヒントをもらいました。私が感じ取り、考えたことを整理したいと思います。

まず始めにDCTT(Dream Come True Tree)を使って、最終目標を頂点としたツリーを作ってみます。これは「想像を遥かに超えた自分になる」という超越の欲求を満足させるための具体的な目標でもあります。



私たちは、仕事を通して社会との接点を持ち、学び成長し、生きがいを感じ、生計を立ています。
これは「生きる」という人間本来の欲求そのものです。

仕事は組織としての活動の成果であり、その組織をより高みを望む仲間たちと広げていくことは楽しいことだと思います。
つまり、いい仕事をしたい、お客さんに評価されたい、利益を上げたい、これらすべての源流は、より高みを望む高潔な組織を作り上げることにあると思います。

そう考えると、私たちの組織が社会に対してどれだけ意味があるのか、あるいはどれだけの成果を上げることができるのか、この問いが、その組織に属するすべての人たちの関心事のはずです。

そして、組織は自分も含め家族、社員、株主、ビジネスパートナー、そしてお客さん、そこに関係するすべての人たちの有意義な人生のためにあります。
一方で、有意義な人生は、結婚であったり、お金であったり、時間であったり、健康であったり、さまざまな個人的要因を含んでいます。
このようなことを絵にすると上のようになります。最終目標は『有意義な人生のために』です。


次はこのツリーのそれぞれの行動(ノード)を目標(ルート)とする、言わば部分木に着目してDCTTを構築しようと思います。




2009年5月8日金曜日

超越の欲求

自己実現とは、ピラミッドで表現されたマズローの欲求階層の頂点に位置する欲求です。
人生において最も高い次元の欲求と言われています。自己実現の欲求は満たされれば満たされるほど大きな達成感と充実感、満足感が得られます。

自分が思い描いた夢や目標を実現させることができれば人生をより有意義に過ごすことができるということです。

人生は一度しかありません。やりたいことを目指そう、あるいは欲しいものを手にしようという生き方です。

これに異論はないのですが、この上に何かあるんじゃないかと日々考えていたら、はたと気がつきました。

天才的なプログラミング能力を持ち、必ず成功するプレゼン力と時間が湧き出るようなマネジメント術を身につけ、たぐいまれなリーダーシップを発揮しうなぎのぼりの業績を続け、それでいて愛する家族に囲まれた幸せな日々を過ごす理想的な人生。それは自己実現の欲求そのものです。

しかし、さらに上に「自分自身を開花させたい」という超越の欲求があると思うのです。
それは今の自分の能力、性格、生き方をも変革し、思い描いている以上の自分、過去と決別した自分、一味も二味も違う想像を遥かに超えた自分になる!という欲求です。

それは自己実現の先にあるものだと思います。


さて、それを手にするにはどうしたらよいのか。

また次回考えたいと思います。



2009年4月21日火曜日

Javaの未来

3月に明らかになったSunの買収劇は、どうやらOracleに落ち着いたようです。

これでOracleはハードウェアを手中に収めたわけです。

DBに加えてJavaとSolaris(OS)を持つことで、企業向けの市場では、かなり優位に立つことになるでしょう。そこにハードウェアも持ったわけですから、今後の動向はますます気になります。

しかしIBMでなくて本当によかったです。OracleならばJavaがかなり興味ある方向に動くことと思います。

もともと、OracleはSunがJavaを打ち出した当初から、Javaを積極的にOracle製品に取り込んできた経緯があります。またSunの持つMySQLの存在も忘れてはいけません。OracleとMySQLがどう融合し進化するのか見ものです。

さらにSunの創業者であるスコット・マクニーリー氏とOracleの創業者であるラリー・エリソン氏はともにビル・ゲイツと戦った間柄で、たぶんウマが合うのでしょう。

これで、万が一にもGoogleと手を結ぶようなことでもあれば個人向けシェアという意味でMicrosoftやAppleを凌ぐ勢いを獲得するのでは?


経済情勢と技術革新は切っても切れない関係にあるということがよく分かります。
自然淘汰のように強いものが影響力を広げ進化し新しいものを生み出していくのでしょう。



2009年4月11日土曜日

Dream Come True Tree


今すべきことは何なのか、あるいは、一体自分は何が望みなのか、論理ツリーを使って客観的に因果関係を整理する方法があります。それは「if .. then .. 」の論理性を検証することで、スタートとゴールを結びます。

願望(ゴール)を達成させるために取るべき具体的な行動と、その行動を実行するための手段(スタート)を明確にするのです。

検証の仕方はこうです。

もし「願望」を達成したいならば、「行動1」かつ「行動2」を行います。逆に「行動1」かつ「行動2」を行うことで、「願望」が達成します。

この「願望」と「行動」の因果関係を抜けがない形で正しく構築できれば、次に手段(あるいは手順)を定めます。

もし「行動1」を実現したいならば、「手段1」かつ「手段2」を定めます。逆に「手段1」かつ「手段2」を定めることで、「行動1」を行うことができます。

もし「行動2」を実現したいならば、「手段3」かつ「手段4」を定めます。逆に「手段3」かつ「手段4」を定めることで、「行動2」を行うことができます。

このように手段を細分化していき、積み上げていくことで、具体的な行動を実行することができます。そして、その行動の成果が夢の実現につながるということです。
ポイントはより簡単な手段に落とし込むことです。小さいことも積もれば大きな成果になるということです。

僕は、これを夢の達成ツリー(Dream Come True Tree)ということでDCTTと名づけました。




2009年3月24日火曜日

見えざる手

アダム・スミスの「国富論」のなかで見えざる手という表現があります。

社会に属するひとりひとりが自分自身のために利益を追求して経済活動を行うことで、社会全体が豊かになるという論法の「欲」を表しています。

あるパン職人がおいしいパンを追求することで、顧客を呼び込み売上を増やし利益を得る労働は、社会においしい焼き立てのパンを提供し、結果的に社会全体の利益にむすびつくという考え方です。

社会のために労働するという動機付けではなく、自分自身の欲の原動力が、社会の発展につながるという、現代の拝金主義を肯定するかのような言葉です。

たとえば子供に、大きくなったら人のために働けと教えるか、はたまた、自分の幸せのために働けと教えるかは難しい選択です。博愛心と甲斐性を同時に満たす教育は可能なのでしょうか。。


見えざる手(=人間の心に潜む欲望)によって突き動かされている市場の上に今の我々の自由主義経済とやらが成り立っていることに、なんだか虚無感を感じます。

今日はそんな心境です。



2009年3月18日水曜日

サン身売りか!?

好きな企業なだけに第一印象として驚きです。

米IBM、同業のサン買収で交渉

しかし、1987年からのサンの株価をチェックすると確かに身売りもうなづけます。

ゆるぎないものと思っていたものも、時間とともに移り変わっていくのが世の常なのですね。

5年後のアメリカの地図は大きく様変わりしたものになるかもしれません。




2009年3月15日日曜日

100年に一度というけれど

去年の10月、崩れるはずはないと思われていたアメリカの巨大な資本主義経済が決壊し、100年に一度の危機と言われる事態に突入して5ヶ月あまり、僕にとっては初めての肌に感じる不況感です。

大学4年の頃、バブル崩壊と呼ばれ、就職氷河期に突入した記憶はありますが、20代前半では景気はニュースのネタでしかありません。不況下の厳しい就職活動を試練として受け止めてがんばったものです。

あれから15年、景気に左右される実感はなく、自分の信じた道を突き進む苦労のほうが大きかったような気がします。

ですが、今回は立場上、今までとは違う危機感があります。それは自分が組織を作っている側に立っていることにほかなりません。当然、一緒にやってきたメンバを路頭に迷わすわけにはいかないのです。


そんななかで、去年の暮れあたりからTVやネット、本や経済誌をいろいろ見ていて気になることがあります。

「100年に一度の危機と言われる事態」なのだから会社の後退もやむなし。潰れるよりはリストラだ、今回ばかりは景気のせい、経営者の責任ではない。という風潮です。

当然、今はあらゆる削減を行って辛抱し、回復した後その補填をするという、いわゆる「痛みが伴う」リストラ策が分からないと言っているわけではありません。

ただ、どんな局面であれ、経営サイドが会社の傾きを景気のせいにしてはいけないと思うのです。

だったら、いい時期の増収増益は経営者の手腕ではなく、好景気のおかげでしかない、ということになってしまいます。

「100年に一度」という言葉が、コントロール不可能な事態を表現していることに嫌な感じがします。


断っておきますが、景気をもコントロールせよ、と言っているのではありません。当たり前と思っている事柄は、良くも悪くも変化し、その変化に柔軟に対処できる力を養うことが大切だと言いたいのです。

いまの時期は自分にとってもいい勉強です。



2009年3月3日火曜日

TQ


これは時間管理の本ですが、実は有意義な人生の送り方を書いた本です。

著者であるハイラム・スミス氏は、7つの習慣を書いたスティーブン・コヴィー氏と一緒になってフランクリン・コヴィー社を経営しています。

2冊とも実にすばらしい本ですが、僕なりに感じたことを書きますと、「7つの習慣」は人生の教科書です。明解な説得力のある文体で人生の意義を説いています。

それに比べてハイラムのTQは荒削りですけどパワフルな個性を感じました。


どちらがよいか。比較はできません。好みですね。

僕はどちらかというと「7つの習慣」のほうに惹かれました。

でもこちらもいい本です。


2009年2月20日金曜日

論理ツリー


「ザ・ゴール 2」こちらもまたまた成功の示唆に富んだ一冊です。

思考プロセスを if then という関係でつなげて論理ツリーの構築に置き換えていく様子は爽快感すら覚えます。

この本のなかでは、著者の考え抜いたであろう論理ツリーをいくつか定義していて、コアな問題の発見とその解決そして変革への道筋を説得力のある独自の思考プロセスとして展開しています。非常に参考にしたいアプローチがいくつもありました。


これをヒントに自分でも考えてみました。

達成したいこと(願望)とそれに向かってやるべきこと(行動)の関係を論理的につなげて戦略を立てる手法です。
願望に対していったいどのような行動をとるべきなのかを明確にします。
あるいは、漠然とした願望すらも明確にできるようなアプローチだと思います。

手順はまず(1)最終的に達成したい願望を書き出してみることから始めます。

(2)その願望を達成するために、具体的に取るべき行動をひとつでも複数でも出来る限り列挙します。しかしここで注意するべきことは、具体的な行動が同じような事柄を含まないようにユニークな行動になるようにするということです。

このとき、もし(1)を達成したいならば、(2)を行う、というif thenの形で論理性をチェックします。
そして(2)を行うことで、(1)が達成されるという仮説を立証しておく必要があります。

(3)次にその列挙した(2)の具体的な行動それぞれに対して、最初にできる極力簡単な手段を複数挙げていきます。ここでも、(2)の行動を取るためには、(3)を行う、というif thenの形で論理チェックします。

このように最初に書き出した願望を頂点とした具体的行動とそれらの手段が細分化されるツリーを構築します。底辺がまず最初に着手するべき手段です。

つまり、比較的簡単な小さい手段を順番に消化していくことで、ある行動が達成され、その行動が伴って最終的に大きな願望の実現につながるということです。

このツリーを、多角的な視点で矛盾をなくしていきます。完成したら、あとはひとつひとつ実行していくだけです。

言わば「夢の達成ツリー」です。やってみよう。



2009年2月11日水曜日

多重度のススメ


UMLとはUnified Modeling Languageの略で日本語でいうと「統一モデリング言語」です。現実世界の事象をモデルとして抽出するときに論理的な概念を分かりやすくする共通語です。

今日はそのなかで、情報処理技術者試験にもよく出てくる多重度というものを紹介します。

多重度とは、線で結ばれた関係において、それぞれの側からみて”いくつ”つながっているかを示します。関係性のつながりを数で表現します。

上の図を例に説明しますと、「雇用する」という関係は、「人」は「会社」と0(雇用関係がない)か1社とつながる可能性があることを示しています。多重度の表現、ここでは「0..1」はその数字が書かれている線がつながる先の対象(今の場合「人」)を主語として、かつ、その数字の側(今の場合「会社」)を相手としてみることがミソです。

「会社」からみれば「人」のほうに「0..*」という多重度が示されており、「会社」は0人以上を雇用していることを示しています。

要は、対象が相手といくつつながる可能性があるかを相手側に書いた数字で示します。

ここでもし、図の「0..1」を「1」に書き換えると、人は誰もが会社に属していると定義することができます。「人」の部分は「社員」になりますね。
さらに図の「0..*」を「100..*」にすることで、何が言いたいか分かりますね。会社はかならず100人以上の人を雇用すると言えます。
こうありたいですね。

この多重度の表現を日常生活でも使うように心がけることで、関係性や問題の明確化につながるとは思いませんか。
さらに情報処理技術者試験の勉強にもつながります。一石二鳥ではありませんか。



2009年2月10日火曜日

PDCAは起承転結

ものを作る過程はおおむね次の段階を経ています。だいたいこれは何でも当てはまるものです。

・第1段階:準備や段取り
・第2段階:作成
・第3段階:確認や検証
・第4段階:反省

例えば、粘土で象を作ることを仮定すると、まず最初に作る象の形やパーツの大きさを考えて粘土の配分を考えます。そしてアウトラインから作り始めて、形になってきたら、徐々に細部まで仕上げていきます。完成したら、思い通りに出来上がったかどうか確認します。
作り終わって満足のいく出来栄えであれば、達成感に浸ります。納得がいかなければ、何が問題だったのか反省し、問題を改善させて次のもの作りにつなげます。

この過程は、まさにPDCAです。どの過程も省くことはできません。各々の過程が十分にその役目を果たすことで最終的に出来のよいものにつながります。


そう考えていると気がつきました。これは起承転結そのものです。

文章でも言葉でも起承転結を意識して構成することで、説得力が増したり、おもしろいものになったり、分かりやすくなったりします。言わばものを語るときの基本パターンです。

起承転結の「転」は物語の核です。ですが、これは「起」「承」があって始めて「転」のおもしろさが発揮されるところで、また「結」がなければ物語の意味が失われます。どれも重要です。

PDCAも同様に、それぞれの過程が製造における品質向上のポイントです。PDCAは起承転結と同じ4つの過程からなるパターンだということです。



2009年2月4日水曜日

知識とは知恵に至るための道

古代ギリシア人は4つの職業観を持っていたと言われています。

・技能(ペイラ)

・経験(エンペイリア)

・技術(テクネ)

・知識(エピステメ)

下にいくほど知識レベルが高度になっていきます。

ペイラは、「習うより慣れろ」といった反復訓練により習得される技術をいいます。

エンペイリアは、実際的知識と言われ、ペイラよりも経験を持ち、裏づけされた熟練の技術を持ちます。

テクネ(テクニックの語源)は、原理原則を踏まえた体系的な技術知識。言わば師範に弟子入りしその道のプロを目指している弟子が、一人前になったときに得られる技術といったところでしょうか。

エピステメは次の機会に。。


ピーター・ドラッカーによると、産業革命を境に技術が知識として体系化され、知的労働という現代人の職業観が芽生えたようです。

つまり以前は、技術は人から人へ伝授されるもので、長い時間をかけて学び、継承した者だけが得られる特別なものでした。弟子入りして苦労して修得される古代でいうところのテクネだったのです。

それが人類の功績によって技術は体系化され、書物になり、学問になり、多くの人々が学び得られる知識となりました。

現代はインターネットによって、あらゆる知識を得ることができます。ですが、経験を積まない知識は技術にはなり得ないということです。


ピーター・ドラッカーがいいことを言っていました。知識とは知恵に至るための道だ、と。


知恵:物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。


2009年1月28日水曜日

思いやりが生産性を高める

いままで生産性向上とは、モノを作り出す能力を引き出していくこと、と思っていました。

まあ、それはそうなんですが、ソフトウェアの開発にあたり生産性を高めるためには、作業効率を上げ、スケジュールを管理し、問題管理を怠ることなく進捗を管理する。経験を積み、スキルを上げ、情報を共有する、などなど。どうもテクニカルな部分にとらわれがちです。

根本的な生産性向上とはなんなのか。

考えてみるとそれは、当たり前の、誰でも知っている「思いやり」が生産性を高めていくことにつながるのではないでしょうか。

つまり、誤解のない分かりやすい言葉、美しく流れるような表現、身振り手振り、図が入っていてイメージしやすい資料、誤字脱字がなく読んでいて気持ちのいい文章、そういったものを心がけているか、いないかが重要だと思うのです。

仕事は人と人との連帯です。人から人へ伝わるコミュニケーションが仕事の効率を左右します。

人に対して生産性の高いアウトプットを望むならば、そのインプットは、キャッチボールで言えば、相手の取りやすいボールを投げてあげることです。もし、ジャンプしなければ取れないようなボールを投げていれば、相手は取り損ねるか必要以上の労力を使って取ることになります。それは非生産的です。

特に、ソフトウェアの開発現場では、未知の技術要素を問われたり、論理的思考力を求められたり、一筋縄ではいかない難解なボールがいっぱい飛んできます。(あるいは投げます。)
それらの理解は受ける側のレベルこそあれ、「思いやり」を持ったコミュニケーションがある程度の生産性を高めることにつながります。

こうしてほしい、ああしてほしいという相手に対するインプットは、分かりやすいものであれば、それだけ理解が早まり処理する時間も短縮されるというものです。



2009年1月20日火曜日

生産性の定義

見つけました!

『生産性とは目標に向かって会社を近づける、その行為そのものだ。』(ザ・ゴールより引用)

主人公のアレックスは38歳。ちょうど僕と同じです。すごい本です。500頁はあるのになんと1週間で読んでしまいました。読めば読むほど引き込まれ、電車のなか、仕事の合間、ベッドのなか、忙しいはずなのに、四六時中読みふけりました。これほど、今の自分に、企業とは、マネジメントとは、継続的改善とは、問題解決とは、品質とは、変革とは、を教えてくれるすばらしい示唆に富んだ本は久しぶりです。

この本では、工場という何百人が勤める場所で、ラインを動かし、製品を作っていく製造工程のマネジメントのあり方が描かれています。ボトルネック(制約条件)に対して理論的かつ意欲的に改善を行い、変革を促す熱意を持ち、生産性を高める具体的な思考プロセスが小説という形で書かれています。

僕はこの本は、いかにリーダーシップを発揮するか、その具体的な例を示していると感じました。

ここでは、仕事の種類を問わず、その仕事を成しえるための人としての能力を語っています。それは我々のやっているソフトウェアの開発現場でもまったく同じ課題があります。だからこんなに共感できたのでしょう。

お勧めです。


2009年1月17日土曜日

ひとりごと

今日は、なぜだか寝つきが悪く、いや、気分が高揚しています。とてもいい日のような気がして。。

まあ、その理由はあえて伏せておきます。



会社を興すということが、いかに胸躍る行為なのか。僕は分かります。

ですが、この起業家精神とでもいうべき力は、自分の属する部門、グループ、プロジェクトにおいても、まったく同様に発揮されるべきパワーだと思います。

つまり、規模に関係なく自分の城を作り上げるという魅力は、資本金を用意し、屋号を決め、登記し、代表を務めることに他なりません。これは非常にわくわくするチャレンジです。社会の荒波を仲間と共に、信じた羅針盤を見定めて突き進むような感覚です。リスクとリターンの狭間で意欲が湧き出します。

ですが、なにも会社をゼロから興さなくても、今自分のいるポジション、たとえそれがひとりプロジェクトであろうとも、その位置で最善を尽くすことは、起業という魅力と同等の、やりがいを持つことができます。

要は、自ら考え、実行し、結果を評価し、次のステップに登る。継続的チャレンジの本質は、社長であろうと、部門の長であろうと、グループの長であろうと、プロジェクトの長であろうと、いちスタッフであろうと、なんら代わりはないということです。

今日、改めて思いました。書き留めておきます。



2009年1月15日木曜日

インターネットの起源

つい最近まで、インターネットの起源はアメリカにあると思っていました。

ですが、どうやらフランス国境近くに位置するスイスのセルン:ヨ-ロッパ合同原子核研究機構という研究機関にその起源があるようです。

セルンは、昨年大型ハドロン衝突型加速器で話題になったときに知ったのですが、ここは相当有名な研究機関のようです。

1990年セルンの研究者ティム・バーナース・リーが35歳のとき、HTMLドキュメントをHTTP(ハイパーテキストプロトコル)に乗せて、蜘蛛の巣のように張り巡らされた共有空間を構想したのが、WWW(インターネット)の始まりです。

HTMLドキュメントに自由にリンクを張り、そのつながりが有機体のように広がるその様を、最初に発想することは驚きですが、それ以上に、その技術に対して社会貢献のため、特許など取らず、すべてを無償開放した経緯が、インターネットをここまで広げていった事実でしょう。


新しい技術は、個人の私欲に走ればいくらでもお金になります。ですが、それは普及速度を鈍化させ、場合によっては叩かれます。

逆に貢献を第一に考え過ぎて損をし、自らの成果を棒に振ることがあるかもしれません。
しかし、成功の哲学を貫いたときに、本当にそれは損なのか。長い人生に換算したら損ではなく大成功になるのではないでしょうか。

きっと、このティム・バーナース・リー氏は今も第一線で活躍されていることと思います。

これが自分も相手も同時に成功させるWin-Winの考え方だと実感し、見習いたいと思います。


2009年1月14日水曜日

やりがいを考える

仕事のやりがいとは一体なんなのか。

1日の大半を仕事に費やす人は、多かれ少なかれその仕事に「やりがい」を見出しているはずです。それは好きな仕事であったり、達成感のある仕事であったり、どこかで自分に「合った」仕事として受け止めています。

やりがいは時に、無理だと思うこと、悔しく思うことをばねに、努力と鍛錬を促し困難を乗り越え、自分をより高みにもっていってくれます。その成長に気づいたときは、次の困難を理解し、乗り越えようとまたチャレンジします。その繰り返しで人は大きくなっていくものだと思います。

やりがいにつながるものを挙げてみると、

・好き、楽しい、好奇心といった個人感情

・夢や目標の達成

・社会や身近な人たちからの評価、認め

・正義、真実、進化の追究

・成果に見合う対価


成果に見合う対価は重要です。これが不安定ですと、人は失速してしまいます。


会社はこの個人的とも言える「やりがい」を、馬の目の前のニンジンなんかではなく、本当の意味での原動力として、全員に浸透させることが出来れば、それはすばらしい文化が構築されるのではないでしょうか。

僕はそれを目指しています。


2009年1月9日金曜日

2009

新しい年を迎えると、今年はどんなことが起こるのか、と出来事に対して期待と不安の入り混じる神妙な気持ちになりますが、今年は違います。

自ら発信する夢と希望に満ちた、沈思黙考(ちんし-もっこう)と信念に基づく日々の選択が、人生の出来事を作っていくんだという心躍るスタートをしようと思います。

本年もよろしくお願いします。