2009年3月15日日曜日

100年に一度というけれど

去年の10月、崩れるはずはないと思われていたアメリカの巨大な資本主義経済が決壊し、100年に一度の危機と言われる事態に突入して5ヶ月あまり、僕にとっては初めての肌に感じる不況感です。

大学4年の頃、バブル崩壊と呼ばれ、就職氷河期に突入した記憶はありますが、20代前半では景気はニュースのネタでしかありません。不況下の厳しい就職活動を試練として受け止めてがんばったものです。

あれから15年、景気に左右される実感はなく、自分の信じた道を突き進む苦労のほうが大きかったような気がします。

ですが、今回は立場上、今までとは違う危機感があります。それは自分が組織を作っている側に立っていることにほかなりません。当然、一緒にやってきたメンバを路頭に迷わすわけにはいかないのです。


そんななかで、去年の暮れあたりからTVやネット、本や経済誌をいろいろ見ていて気になることがあります。

「100年に一度の危機と言われる事態」なのだから会社の後退もやむなし。潰れるよりはリストラだ、今回ばかりは景気のせい、経営者の責任ではない。という風潮です。

当然、今はあらゆる削減を行って辛抱し、回復した後その補填をするという、いわゆる「痛みが伴う」リストラ策が分からないと言っているわけではありません。

ただ、どんな局面であれ、経営サイドが会社の傾きを景気のせいにしてはいけないと思うのです。

だったら、いい時期の増収増益は経営者の手腕ではなく、好景気のおかげでしかない、ということになってしまいます。

「100年に一度」という言葉が、コントロール不可能な事態を表現していることに嫌な感じがします。


断っておきますが、景気をもコントロールせよ、と言っているのではありません。当たり前と思っている事柄は、良くも悪くも変化し、その変化に柔軟に対処できる力を養うことが大切だと言いたいのです。

いまの時期は自分にとってもいい勉強です。