2009年3月24日火曜日

見えざる手

アダム・スミスの「国富論」のなかで見えざる手という表現があります。

社会に属するひとりひとりが自分自身のために利益を追求して経済活動を行うことで、社会全体が豊かになるという論法の「欲」を表しています。

あるパン職人がおいしいパンを追求することで、顧客を呼び込み売上を増やし利益を得る労働は、社会においしい焼き立てのパンを提供し、結果的に社会全体の利益にむすびつくという考え方です。

社会のために労働するという動機付けではなく、自分自身の欲の原動力が、社会の発展につながるという、現代の拝金主義を肯定するかのような言葉です。

たとえば子供に、大きくなったら人のために働けと教えるか、はたまた、自分の幸せのために働けと教えるかは難しい選択です。博愛心と甲斐性を同時に満たす教育は可能なのでしょうか。。


見えざる手(=人間の心に潜む欲望)によって突き動かされている市場の上に今の我々の自由主義経済とやらが成り立っていることに、なんだか虚無感を感じます。

今日はそんな心境です。



2009年3月18日水曜日

サン身売りか!?

好きな企業なだけに第一印象として驚きです。

米IBM、同業のサン買収で交渉

しかし、1987年からのサンの株価をチェックすると確かに身売りもうなづけます。

ゆるぎないものと思っていたものも、時間とともに移り変わっていくのが世の常なのですね。

5年後のアメリカの地図は大きく様変わりしたものになるかもしれません。




2009年3月15日日曜日

100年に一度というけれど

去年の10月、崩れるはずはないと思われていたアメリカの巨大な資本主義経済が決壊し、100年に一度の危機と言われる事態に突入して5ヶ月あまり、僕にとっては初めての肌に感じる不況感です。

大学4年の頃、バブル崩壊と呼ばれ、就職氷河期に突入した記憶はありますが、20代前半では景気はニュースのネタでしかありません。不況下の厳しい就職活動を試練として受け止めてがんばったものです。

あれから15年、景気に左右される実感はなく、自分の信じた道を突き進む苦労のほうが大きかったような気がします。

ですが、今回は立場上、今までとは違う危機感があります。それは自分が組織を作っている側に立っていることにほかなりません。当然、一緒にやってきたメンバを路頭に迷わすわけにはいかないのです。


そんななかで、去年の暮れあたりからTVやネット、本や経済誌をいろいろ見ていて気になることがあります。

「100年に一度の危機と言われる事態」なのだから会社の後退もやむなし。潰れるよりはリストラだ、今回ばかりは景気のせい、経営者の責任ではない。という風潮です。

当然、今はあらゆる削減を行って辛抱し、回復した後その補填をするという、いわゆる「痛みが伴う」リストラ策が分からないと言っているわけではありません。

ただ、どんな局面であれ、経営サイドが会社の傾きを景気のせいにしてはいけないと思うのです。

だったら、いい時期の増収増益は経営者の手腕ではなく、好景気のおかげでしかない、ということになってしまいます。

「100年に一度」という言葉が、コントロール不可能な事態を表現していることに嫌な感じがします。


断っておきますが、景気をもコントロールせよ、と言っているのではありません。当たり前と思っている事柄は、良くも悪くも変化し、その変化に柔軟に対処できる力を養うことが大切だと言いたいのです。

いまの時期は自分にとってもいい勉強です。



2009年3月3日火曜日

TQ


これは時間管理の本ですが、実は有意義な人生の送り方を書いた本です。

著者であるハイラム・スミス氏は、7つの習慣を書いたスティーブン・コヴィー氏と一緒になってフランクリン・コヴィー社を経営しています。

2冊とも実にすばらしい本ですが、僕なりに感じたことを書きますと、「7つの習慣」は人生の教科書です。明解な説得力のある文体で人生の意義を説いています。

それに比べてハイラムのTQは荒削りですけどパワフルな個性を感じました。


どちらがよいか。比較はできません。好みですね。

僕はどちらかというと「7つの習慣」のほうに惹かれました。

でもこちらもいい本です。