2009年12月4日金曜日

始まりの終わり

いままで1年半、出会いを求めてこのブログを書いてきました。

私の出会いとは、自分の中の未知なる可能性との出会い、視点を変えた気づきとの出会い、自分のいい所、悪い所を教えてくれる出会い、成功へのチャンスとの出会い。

このブログに書き出すことで多くのことを知ることができました。

しかし、本当の意味で知ったこと、それは、

求めていたもの、すなわち、仲間、家族、友人、お客さん、近所の方々、今まで接した多くのお世話になった人たちとのワクワクするような可能性と情熱に満ちた未来。すべての種は、このブログを書く前からもうすでにそこにあったことに気が付きました。芽を出し葉を広げ実をつけるその日まで、山あり谷ありがんばって生きていきます。




当ブログで、つたない文章でしたが、今まで読んで頂いた方々には大変嬉しく思います。ありがとうございました。

またどこかで書き始めたいと思います。では、その日まで。









2009年11月24日火曜日

レッツ・トライ

リラックスした状態で想像の時空を漂流する。そのなかで起きる出来事、きっかけ、事件、展開を体で感じる。考えるのではなく感じること。それを言葉にし、絵に描き、流れるイメージを脳からうやうやしく取り出す。きっと、それは禅や瞑想をクリエイティブな空想行為とむすびつけるもの。
大切なのは無理なく自然に肉体と精神の分離を試みる。そして無限に広がる可能性の頂から未来へのメッセージを拾い上げる。

留意点は次のとおり。
  • 目を閉じ、耳をすませ、ゆっくり息を吸い込み、風を感じて、大脳の導きに従う。
  • 五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を研ぎ澄まして「感じる」。
  • とにかく楽しむ。ふぜけることも効果的。
  • これは記憶を思い出す行為ではない。どんな小さなイメージでも映像として捉える。
  • 見えたイメージに対しての判断は不要。そのまま取り出すことを意識する。
  • 大事なのはフィーリングである。
  • イメージの姿、形、色、音、におい、味、肌触り、感触などを声に出して説明する。(現在形進行形で話すことが大事)
  • 説明は理屈抜きの感覚的、抽象的なものでよい。
  • イメージをキャッチするときに盲目的な感覚ではなく懐疑的ではあるが好奇心大盛なポジティブシンキングの姿勢を保つ。
  • 語られたイメージを絵にしていく。

取り出された絵を言語化して、あらゆる切り口から解釈する。

アインシュタインの言葉です。
「私の科学的な能力は直感から来る“サイン”や“イメージ”、視覚、聴覚、触覚などさまざまな感覚による“とらえどころのない遊び”により生まれたものです。あの相対性理論もこういった多くの要素を頭の中で組み合わせているうちにひらめいたのです。ですから私はこの“組み合わせ遊び”は創造的作業には欠かせないとても重要なことだと思っています。」(「頭脳の果て」から引用)


ひとりで行うときはICレコーダーがあるとGood!

Let's try!!


2009年11月11日水曜日

イメージ・ストリーミング

左脳は冷静、分析、論理、言語、理性、理屈、抑止、検査など客観性を重んじる働きがある。一度に限られた範囲しか認識できない。文章を読むときは文字を言葉にして一字一句読んで理解することを思い出せば左脳の働きは想像がつく。
一方、右脳は感情、直感、音楽、映像、創造、空想などのイメージを司り、独創的な洞察力を持ち、潜在意識や無意識の世界が広がっている。そして右脳は膨大な量の情報を一瞬にして処理する。

以上のような脳の基本的な働きを前提にイメージ・ストリーミングを考えてみる。

情報は多くの場合、関所である左脳によりまず処理される。そこでは左脳は言わば「判断のフィルター」になっている。「これはおかしい」や「こうあるべき」というジャッジにもとづいて情報はフィルタリングされる。多くの場合、このフィルタリングによって次の行動がパターン化されていく。取り込まれた情報は右脳に届き、無意識のなかで過去の記憶と混ざり合い、イメージがわき上がる。このイメージが流れることをストリーミングと言い、実は右脳の中では常にイメージが渦巻いている。それは寝ているときに夢という形で現れることもあるし、覚醒しているときにふっと白昼夢のような形で現れることもある。

この右脳の中のイメージの流れが、驚きを伴って識別できれば、今までにないアイデア、問題の斬新な解決方法などをひらめくことにつながる。

誰でも一度は寝ている夢のなかですばらしいアイデアを思いついた経験があるだろう。そんなときのイメージをそのままの状態で意識的にキャッチできれば大きな「気づき」につながるということだ。
ただ、多くの場合こうした「気づき」は左脳によるジャッジが厳しいため、そのサインに対する驚きは冷静さと共に半減し薄れる。「ああ、それはこういう理屈でおかしいんだよね」「現実には無理だよ」と思ってしまえば、「気づき」のサインは萎縮してしまう。イメージは否定や拒絶に弱いのである。

こういったことを前提に、もし左脳を介すことなく右脳に直接働きかけることで驚きを持った新鮮なイメージがそのままの姿でキャッチできれば。。これが「イメージ・ストリーミング」である。



2009年11月7日土曜日

イメージからアイデアを

教育心理学者であるウィン・ウェンガー氏が著書「頭脳の果て」の中で創造的問題解決法として紹介しているイメージ・ストリーミング。

今年のマイ・ベストにエントリーされる本である。

創造的問題解決とは、言葉のとおり問題を創造的に解決しようとするもので、頭のなかに浮かぶイメージを明らかにすることで、潜在的なアイデアを掘り起こし、なかなか解決しない問題に新しい切り口で対処しようと試みる手法だ。

我々の周りに横たわるなかなか解決しない問題には例えば次のようなものがある。

  • 今後3年のうちに売上高を倍増するためにはどんな戦略があるか?
  • 新しい製品・サービスをどういうコンセプトで打ち出していけば成功するか?
  • 我々の存在意義はなんであり、どのような使命があるのか?
  • 社員の生活を豊かにするための具体的な方針は何か?


挙げていけばきりがない上記のような問題は、今日明日で解決しなければならないほど緊急ではない。しかし非常に重要であり、棚上げにしてしまってはいつまでも解決しない厄介な問題といえる。
このような問題を解決しようと日々いくら熟考しても、一向に解決策を見出すことはできない。いったいどうしたらよいのか?分らないので、とりあえずそのままにしておくことしかできない。それ以上に、日々はやるべきことがいっぱいで、いつも緊急で重要な問題を片付けていくことに集中せざるおえない。

こんな状況を打開し、人生をよりよいものにするためにイメージ・ストリーミングを知った。これは言わば人間の可能性を信じた手法である。五感を研ぎ澄まし、想像力を働かせ、イメージを捉えて、表現していくことで、今までの視点を変えた新しいアイデアを発掘し問題を解決していく。

現代では科学的根拠が欠けているものに対して懐疑的にならざるおえない社会通念がある。事実このような手法は、眉唾であったり、怪しげで嘘っぽいと判断されやすい。目に見えないものは信じられないというわけだ。客観性や数学的立証ができないものは価値がないのである。

しかし、人間の脳の中のすべての働きを誰が理解していようか。思考の行き着く先を誰が完全に把握していようか。大切なのは理論より実践なのである。そんな気にさせる本だった。



2009年10月28日水曜日

子を持って思うこと

昨日無事、元気な男の子を授かった。

まさに人間の原点に立ち会えたことに感動した。

よく子供は宝と言うが、大人もみんな最初は子供だった。当たり前だけど、社会は人間が作っているし、有史以来人間はより豊かな社会を夢見て歴史を作っている。

10年前には自分が二児の父になるとは想像もできなかった。人生とはなんと不思議なことか。
1999年は自分自身の内なる世界観を懸命に構築していた。

しかし今、確実に言える。自身の世界観はその外側から覗かなければ、バランスのよい穏やかで強く大きなものには成りえないと。

子供のため、教育のため、社会のため、国のため、未来のため、いったい自分は何のために存在しているのか。そんなことを考えさせられる出来事だった。これは考えなければいけないことだと思う。答えは必ずある。それは数学の漸化式のようなもの。

希望と可能性に満ちあふれた未来に向けてこれからもチャレンジしていきたい。




2009年10月8日木曜日

仕事と仲間

私事であるが、来週妻が出産する。男には母子共に無事を願うことしかできない。歯がゆいが、太古の昔から決まっている。

さらに産まれる日取りは誰にもコントロールできない。なので仕事が忙しいなかでこうした事態に立ち向かうには仲間が鍵になる。

今日、みんなに申し出た。「もしかしたら来週休みをもらったり、途中で抜けたりすることがあるかもしれないけど、どうかみんなの力を貸してほしい」と。

快諾とはまさにこのことだと感じた。みんな喜んでくれた。最高に嬉しかった。

人生とはひとりで成り立つものではない。感謝と謙虚な気持ちを忘れずに生きたい。

ありがとう。この恩は忘れない。


2009年9月23日水曜日

ゆるやかな人間関係

ウィークタイズ(weak ties)という言葉がある。社会学者マーク・グラノヴェッター氏による1973年の「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties"という仮説から来ている。

簡単に言えば、たまにしか会わない知り合いだ。例えば同郷の旧友、同じ大学の友人、前職の先輩や同期、子供の友達のお父さん、などなど。
頻繁に交流していた時期もあったが、今は何かの機会に会う程度、しかし再会すると非常に刺激を受ける。

こういう人たちとは日常の依存度が低い割に、すでに信頼関係ができており、たまに会って話すと、思いもよらず情報交換ができる。若いときにはなかなか受け入れられなかった関係も、歳と共にかけがえのないものだと思うようになった。

人的ネットワークでこうした「ゆるやかな人間関係」から得たものは、より密な人間関係よりも有益である。

それはいつも会っている人間関係からは得られない意外性、異質性、見解の相違、新鮮味、思いもよらない観点、などの「ズレ」がいい意味で重要な視点に気づかせてくれるのだろう。自分自身をいつもよりずっと客観的に見せてくれるのだ。

つまり、人間はひとりでいると、あるいは閉塞的な関係に陥っていると、いいアイデアも出ないということである。これは僕の好きなパラダイム・シフトへの入り口のひとつだ。


パラダイム・シフト : 発想の転換。固定観念の破棄。今までの古い見方から新しい見方に変わること。