2009年3月24日火曜日

見えざる手

アダム・スミスの「国富論」のなかで見えざる手という表現があります。

社会に属するひとりひとりが自分自身のために利益を追求して経済活動を行うことで、社会全体が豊かになるという論法の「欲」を表しています。

あるパン職人がおいしいパンを追求することで、顧客を呼び込み売上を増やし利益を得る労働は、社会においしい焼き立てのパンを提供し、結果的に社会全体の利益にむすびつくという考え方です。

社会のために労働するという動機付けではなく、自分自身の欲の原動力が、社会の発展につながるという、現代の拝金主義を肯定するかのような言葉です。

たとえば子供に、大きくなったら人のために働けと教えるか、はたまた、自分の幸せのために働けと教えるかは難しい選択です。博愛心と甲斐性を同時に満たす教育は可能なのでしょうか。。


見えざる手(=人間の心に潜む欲望)によって突き動かされている市場の上に今の我々の自由主義経済とやらが成り立っていることに、なんだか虚無感を感じます。

今日はそんな心境です。