2009年6月27日土曜日

1Q84

実は僕は、世界中で村上春樹の書く小説がもっとも好きです。20年前に「風の歌を聴け」を読んで以来、彼のすべての作品(エッセイも含めて)は読み倒しています。
なにが嬉しいって、彼と同じ時代を生きている喜びです。生きている限り彼の新作が読めるのです。

5年ぐらいの周期で繰り返し繰り返し「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。思い立つと読み返したくなるのです。不思議に。

当然、先月出版された「1Q84」もAmazonで予約購入し読みました。


今日、読み終えて率直な感想を言わせてもらえればこうです。

娘を持つ父として、なぜこの本が100万部も売れるのか理解に苦しみます。

が、メッセージは受け取りました。(これがファンのなせる業です)



人の価値観は人の数だけ存在します。それは善悪ではないということは周知の事実です。もし法がある人の価値観で成り立っていたとしたら世の中の根底が揺らぎ崩れます。それほど、人の価値観は危ういものなのです。心の闇、感情の起伏、本当の自分は自分にしか分からないと思っている自我、弱く、欲深く、やっかいなものです。

もし、そんな、あやふやな判断基準の上に生活があり、経済があり、人生があるとしたら。。  いえ、 あるのです。

やっかいな人間が作り出した家庭があり、組織があり、集団があり、社会があるのです。


ですが、村上春樹の言わんとしていることは、僕なりにこう解釈しました。

当事者の心のフィルターを通さない事実は、真実ではない、ということです。

仮に一般論としての悪を内在する人間が現実に一般論としての悪に走ったとしても、当本人の価値観にその悪を認めるところがなければ、どんなに裁いてもそこに意味はありません。

そして、ひょっとしたら、悪を決めるのは多数決なのかもしれません。


そんな、現代社会の危うさを感じました。