2009年7月11日土曜日

ピンで生きる

ピンとはポルトガル語のpinta(点の意味)を語源とする「ひとり」という意味である。
ピン芸人と言えば想像は容易いだろう。

僕の根底にはいつも「ピンで生きる」がある。なぜか。それは39年間、人間をやってきて知った揺ぎ無い現実であり、挑戦であり、原動力だからだ。けっして、ひとりで生きていくという意味ではない。

自らの心得として改めて考えようと思う。

まず、利害関係の本質は助け合いではない。利害関係とは平たく言えば損得勘定である。需要と供給が合致する等価交換である。
それはビジネスであり、経済であり、生活である。

知るべきことは、自分がいったい何で生計を立てているかである。

これは人類が誕生したときから必ずや繰り返されている人間学だ。

たとえば、自分が失敗したときに周りの人間にどこまで甘えが許されるかを考えれば明白だと思う。その甘えは期限付きなのだ。その期限の長さはお互いの信頼関係の深さで決まる。
困ったときに助けてもらうことは「信頼」を引き出す行為であり、上手くいっているときは無条件で「信頼」を貯めていくことが大切なのである。

子供にはできないことだ。

「ピンで生きる」とは、ひとりひとりがこの他者との信頼関係の深さを意識して生きていくということである。

信頼はあるときはマナー、あるときは相談、あるときは約束、あるときは情熱、あるときは能力、あるときは品質、あるときはお金、さまざまな様相に取って代わる。

そこに重要なものはタフでシビアでオリジナリティのある生き様だ。つまり、へこたれず厳しさを持ち合わせた誰にも真似のできない自分らしさ。そこに妥協や諦め、甘えや依存、羞恥や恐れ、不平や打算はない。偽りのない行動があるのみだ。

そしてなによりも「信頼」を貸し借りではなく無償の愛として尽きることのないものとすることが大切だ。



この「ピンで生きる」行動があってはじめて「組織」の個が光り輝くのだと信じて止まない。