2008年10月30日木曜日

Java誕生の歴史

(10月23日のつづき)

1980年代後半、サン・マイクロシステムズはバーチャルマシンを組み込んだUNIXウィンドウシステムをオブジェクト指向で設計していました。このときの技術がのちにJavaに生かされるわけですが、このウィンドウシステム(NeWS)は当時の既存勢力であるHP、DEC、IBMらの提唱するX Window Systemに敗れます。

この挫折感からサンのパトリック・ノートンという若きプログラマが、その頃スティーブ・ジョブズが立ち上げたNeXTに移りたいとスコット・マクニーリに打ち明けたといいます。NeXTのNEXTSTEPは当時、スタイリッシュな外観と洗練されたGUIをもつUNIXとして注目を浴びていました。

マクニーリは「辞める前にサンのまずいところを書き出して欲しい。解決策も、神様になったつもりで教えて欲しい。」と言ったそうです。このときのやり取りが、サンがJavaへ向かうきっかけになったと言われています。

ただ、ビル・ジョイにとってはJavaは単なる思いつきではなく、必要に迫られた開発言語であり、実行環境でした。このようなことを背景にして、ジェームズ・ゴスリングがオフィスの窓から樫(oak)の木が見えたことから名づけられた家電を制御するための組み込み用の開発言語Oakを前身として、1995年Javaが誕生しました。

ゴスリングはJavaを開発する上で、オブジェクト指向本来の良さを損なうことなく言語仕様をいかにシンプルにするかということを一番に考えた、と言っています。まさにその思想がJavaの成功だと思います。

その後、Javaはインターネット技術とともに注目され、さまざまなAPIライブラリが揃い、改訂を繰り返し今に至ります。オブジェクト指向特有の難解な概念はJavaによって市民権を得たと言えます。

[参考]
ビル・ジョイの冒険―ネットワークをコンピュータにした人々