2008年10月23日木曜日

オブジェクト指向の波

(10月17日のつづき)

1970年代、ビル・ジョイがバークレー校で、オブジェクト指向言語Smalltalkに触れていたころ、カナダのカルガリー大学ではジェームズ・ゴスリングが最初のオブジェクト指向言語であるSimulaを学んでいました。この二人は後にサン・マイクロシステムズの躍進とともにJava言語の開発に携わります。

1963年にアイヴァン・サザランドという優秀な技術者がMITの研究所においてオブジェクト指向が実現される最初のきっかけとなった、ライトペンによりディスプレイ画面に図形を描写する「スケッチパッド」を開発しています。その次の年にはインターネットの原型となるARPANET(アーパネット)の母体となったアメリカ国防省の高等研究計画局の情報処理技術部長に26歳の若さで就任します。

その後1966年にサザランドは国防省の地位をロバート・テイラーに譲りハーバード大学の助教授になります。後にサザランドと一緒にサンに行くことになるボブ・スプロウルはハーバードでサザランドの科目に応募した学生でした。

1968年サザランドはハーバードを出てディビッド・エヴァンスとコンサルティング会社を設立し、そこで、連続的に変化する陰影をリアルタイムに表現できる最初の三次元グラフィックスを開発します。同年エヴァンスがユタ大学にコンピュータサイエンス学科を創設したことをきっかけにサザランドはユタ大学の教授となり、バーチャルリアリティをソフトウェアで実現するNITE-VIEWを発表します。その一方で、のちにSmalltalkを開発することになるアラン・ケイは1966年ユタ大学の大学院でエヴァンスとサザランドに出会い、オブジェクト指向の権威の道を辿ることになります。(つづく)

ここで、もっとも感銘を受けたアラン・ケイの言葉を紹介しておきます。

「コンピュータは、他のいかなるメディア-物理的には存在しえないメディアですら、ダイナミックにシミュレートできるメディアなのである。さまざまな道具として振る舞う事が出来るが、コンピュータそれ自体は道具ではない。コンピュータは最初のメタメディアであり、したがって、かつて見た事もない、そしていまだほとんど研究されていない、表現と描写の自由を持っている。それ以上に重要なのは、これは楽しいものであり、したがって、本質的にやるだけの価値があるものだということだ。」(Alan Kay)

[参考]
ビル・ジョイの冒険―ネットワークをコンピュータにした人々