2009年10月8日木曜日

仕事と仲間

私事であるが、来週妻が出産する。男には母子共に無事を願うことしかできない。歯がゆいが、太古の昔から決まっている。

さらに産まれる日取りは誰にもコントロールできない。なので仕事が忙しいなかでこうした事態に立ち向かうには仲間が鍵になる。

今日、みんなに申し出た。「もしかしたら来週休みをもらったり、途中で抜けたりすることがあるかもしれないけど、どうかみんなの力を貸してほしい」と。

快諾とはまさにこのことだと感じた。みんな喜んでくれた。最高に嬉しかった。

人生とはひとりで成り立つものではない。感謝と謙虚な気持ちを忘れずに生きたい。

ありがとう。この恩は忘れない。


2009年9月23日水曜日

ゆるやかな人間関係

ウィークタイズ(weak ties)という言葉がある。社会学者マーク・グラノヴェッター氏による1973年の「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties"という仮説から来ている。

簡単に言えば、たまにしか会わない知り合いだ。例えば同郷の旧友、同じ大学の友人、前職の先輩や同期、子供の友達のお父さん、などなど。
頻繁に交流していた時期もあったが、今は何かの機会に会う程度、しかし再会すると非常に刺激を受ける。

こういう人たちとは日常の依存度が低い割に、すでに信頼関係ができており、たまに会って話すと、思いもよらず情報交換ができる。若いときにはなかなか受け入れられなかった関係も、歳と共にかけがえのないものだと思うようになった。

人的ネットワークでこうした「ゆるやかな人間関係」から得たものは、より密な人間関係よりも有益である。

それはいつも会っている人間関係からは得られない意外性、異質性、見解の相違、新鮮味、思いもよらない観点、などの「ズレ」がいい意味で重要な視点に気づかせてくれるのだろう。自分自身をいつもよりずっと客観的に見せてくれるのだ。

つまり、人間はひとりでいると、あるいは閉塞的な関係に陥っていると、いいアイデアも出ないということである。これは僕の好きなパラダイム・シフトへの入り口のひとつだ。


パラダイム・シフト : 発想の転換。固定観念の破棄。今までの古い見方から新しい見方に変わること。



2009年9月16日水曜日

ビジョンの意味が分った

今というこの瞬間の行動がもたらす結果はすべて自分にめぐってくることを書いた3年後の世界。

これは日々のすべての振る舞いが未来を作っているという意味である。

例えば、人とぶつかったときに感情に任せて反応するのではなく、ぐっとこらえて、その人との将来の関係を想像して、どうなりたいか、どうあるべきかに焦点を当てて今の行動を選ぶということである。

それはメールを書くとき、提案を持ちかけられたとき、大切なことを教えるとき、言動、姿勢、表情、態度、物腰、歩き方までも、今日着る服を選ぶのと同じように、ひとつひとつの行動や反応を選択するのである。
それはすべて3年後につながっている。

逆の言い方をすれば、成るようにしか成らないという刹那的な発想は捨てる。

3年後に照準を合わせて今を生きるのである。

そしてこの3年という月日はいつまでも縮まることはない。時間の経過と共に照準も移り変わるのである。


この考え方の利点は、成果はすぐに出さなければならないとか、問題は瞬時の判断で回避しなければならないとか、すぐに答えを出し、すぐに対処する、などなど、判断の早さが重視されがちな視点から逃れることができる。
すべては将来の姿を想像するという視点が重要なのである。これがビジョンである。

こう考えると心にゆとりが出てくる。日々急いだり焦ったりする必要はどこにもない。物事の真意をゆっくり考えればいいのだ。そして時間をかけて対処すればよい。ときには待ってもいい。時間はゆっくり流れているのだから。




2009年9月8日火曜日

3年後の世界

現実は厳しい。
思うように進まない仕事。容赦のない要求。責任という名の圧力。あっという間に過ぎ去る時間。期待を裏切る人間関係。
これだけ頑張っているんだから、分って欲しい、得るものがほしい、と無意識に見返りを求めている。
いっそのこと全てに背を向けたほうがどれだけ楽なことか。

と、最近、特に心で嘆いていた。。

しかし!ついに発見した。自分の原則を。
物事は見方ひとつでいかようにも変わる。

『3年後の世界を想像しながら、今この瞬間に課せられたあらゆる物事を判断し思考し行動する』ということである。

つまり、今起きている日常の選択のひとつひとつ、喜怒哀楽、仕事上の問題や、友人、家族との関係、感情のゆらぎ、これらすべてに対する自分の認識の行き着く結果は、3年後の自分に降り注ぐことになるということだ。それを想像し、どうなりたいか、どうあるべきかを基準に今の行動を選んでいく。

3年後の世界は今作られている。3年後に成果に結びつくのか、失うことになるのか、それは今の判断と思考と行動のひとつひとつにかかっている。未来はコントロールできるのだ。
少なくとも後悔や不本意な失敗はなくなるだろう。未来に対しても責任を自覚するのだから。人の言葉に踊らされたり、物やお金に依存したり、自己嫌悪に陥る確率も減る。そして逆に本当の意味での心の自由と人生の有意義さを獲得できるだろう。

これに気が付いた。




2009年8月13日木曜日

「道」

"万物の根底には「道」がある" とは老子の言葉である。

「道(タオ)」とは万物を万物として成り立たせている大いなる存在、何ものにも依存しない、目には見えぬ「無」としか言いようのない存在。
そこには善も悪もない、是も非もない、強いて表現するならば無心、無欲、無為といった超越の真理。

老子はこう語っている。

「天地の初めよりまえに、ある混沌としたものが存在した。それは音もなく形もなく、他の何ものにも依存しない存在である。これこそ天地の母に他ならない。その名前さえ知らないので、仮に”道”と呼んでおこう。強いて名づければ”大いなる者”と言ってもよいかもしれない。」


このような大きな存在でありながら「道」はいささかも主張することなく、誇ることも、思い上がることもなく、静かに息づいている。

これを体得することは、すなわち厳しい現実を自由にしなやかに品位を持って生き抜くことを意味している。


こんな生き方を心がけたい。



2009年8月11日火曜日

「契機」を考える

「情熱」と「能力」のつづき。

「契機」は英語で opportunity または chance だが、日本語でもきっかけ、好機、偶然、タイミングなどのニュアンスがある。

それはあたかも自分ではコントロールできない天からやってくる代物のように感じる。

しかし実はこれは偶然の産物ではない。自ら求め、あるいは与えうるものなのだ。

どういうことかというと、私事の話をしよう。

私は30歳を迎える少し前に生涯を独身で貫こうと心に決めたことがある。それは本当のパートナーをこの世から見つけることが絶対に不可能だと考えていたからだ。よく言えば理想が高く、悪く言えば結婚に悲観的だった。むしろひとり気ままに生きていくことのほうが充実した人生を手にすることができる。そう考えていた。

しかし、結果的にその考えはひとりの女性と出会うことで、もろくも崩れ去った。瞬く間に恋に落ちたとはこういうことである。もちろん、結婚が成就するためにあらゆる手を打ったことは言うまでもない。

出会った瞬間から人生が変わったわけである。

この契機はなんだったのか。単なる偶然ではない。人生のうちの限られた出会いのなかで、最大限にその出来事を受け入れ、行動、決定する意思、そして選択の自由が私のほうにあったのである。

つまりきっかけを生かすも殺すも本人しだいなのである。

それは生きている限り、場所が変わり時間が経過する限り、無数に存在しているのである。

それを掴むのは自らの視点と行動でしかない。

こう考えると今置かれている状況、立場はすべて自ら選択したものだと分かる。

そしてこれから起きる未来も自らの意志なのである。偶然はない。


成功の条件は「情熱」と「能力」と自ら選択し行動し最大限に生かすことのできる「契機」である。



2009年8月5日水曜日

コーディングし続けるその先に

聴覚を失った偉大なる音楽家ベートーヴェンにこんな逸話がある。

彼は膨大な数の楽譜の断片を遺したそうだ。しかし作曲するときにそれらの楽譜を見ることはなかった。

ではなぜ楽譜を書くのかと聞かれてこう答えたという。書かなければ忘れる、しかし一度書けば一生忘れない。

これは書くという行為の学習性を示している。

思考を脳から取り出すことが記憶として浸透させるきっかけになる。



我々の世界で言えばソースコードは、書くだけでなく設計をしてコーディングして動かして検証するまでの一連の作業を通して出来上がる。これを共同作業で。

これは書く以上に幾重もの開発作業を重ね、言わば脳からうやうやしく取り出される。当然、記憶にはいやでも焼きつく。

そういう意味で一度書いたソースコードはそのときの多忙な出来事と共に記憶され、いずれ「あ、昔なんかこんな感じのコードを書いたっけ。。あのときは大変だったなあ。」とかなんとか言って、昔のソースコードを探し出すのである。

そう考えるとコーディングし続けたその先に、いずれ集大成である「作品」が待っている。