2009年6月14日日曜日

落ちてます。

人生は思ったようには進めない、とは当たり前のことです。壁にぶつかったり、限界を感じたり、いやになったりすることは日常茶飯事です。「有意義な人生」を送ろうとするためには、相応の努力が必要です。

努力ってなんだろう?

自信喪失と自己嫌悪、自分の進むべき道を見失い、もがき苦しんでもなかなか霧が晴れて来ない。そんなときはどうしたらよいのか?

ときどき自分の理想が高すぎるのか、あるいは持っていき方が下手なのか、考えることを放棄したくもなります。

こんな言葉を耳にします。

「富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也」(論語)

”富と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり”

富と貴い身分とはこれは誰もが欲しがるものです。しかし、それ相応の行い(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければそこには安住しない、という意味です。

人生の成功はそれ相応の行いによってのみ手にすることができるという教えです。

この言葉が頭をよぎります。




2009年6月8日月曜日

いい仕事をする/残す

今日は、『いい仕事をする/残す』に着目したツリーを作ってみました。最終目標へのひとつのステップです。
この『いい仕事』を目標としたときに具体的にはどのようなことをしていけばよいのかを考えてみます。



基盤となるのは『やりがいがある、好き、楽しい』です。何はともあれこれがないといい仕事はできません。つまり出発点です。職業を選択するときにまず考えることだと思います。

ここから出発する具体的な行動とはなんだろう、と思案した結果、次の二つを挙げました。
  • 正義、真実を追究する : 大切なのは妥協しない心です。
  • 新しい自分の発見 : 飽くなきチャレンジです。能力を指します。

そして『新しい自分を発見』して、なおかつ『力強く、情熱』を持って仕事をし、『誠実』であることで、『影響範囲が広がる』と考えます。影響範囲とは、人に対すること、仕事に対すること様々なものごとの「自分自身の判断でコントロールが可能な対象の範囲」を意味します。影響範囲が広がれば広がるほど責任が伴います。

最終的に『いい仕事をする/残す』という目標は、具体的には『正義、真実を追究する』かつ『影響範囲を広げる』ことで達成することができると考えます。




2009年5月30日土曜日

最終目標

月1回のペースですが、うちのメンバ全員を集めて「会社組織としてのミッションを明確化する」ミーティングを行っています。これは、出発点として、
  • 組織は個人の集まりであり、各個人の価値観を尊重し合って仕事がしたい
  • 我々の存在理由、大切なもの、何のために働くか、将来どうなりたいか、を明確にすることで、毎日充実感を得たい
  • 考える過程でみんなの価値観を共有でき、その共通項を見出す作業が楽しい
  • 組織に浸透し活力となりうる理想を持つということを目標としたい

といった発想から始まっています。

このミーティングを通してメンバからはいろいろなヒントをもらいました。私が感じ取り、考えたことを整理したいと思います。

まず始めにDCTT(Dream Come True Tree)を使って、最終目標を頂点としたツリーを作ってみます。これは「想像を遥かに超えた自分になる」という超越の欲求を満足させるための具体的な目標でもあります。



私たちは、仕事を通して社会との接点を持ち、学び成長し、生きがいを感じ、生計を立ています。
これは「生きる」という人間本来の欲求そのものです。

仕事は組織としての活動の成果であり、その組織をより高みを望む仲間たちと広げていくことは楽しいことだと思います。
つまり、いい仕事をしたい、お客さんに評価されたい、利益を上げたい、これらすべての源流は、より高みを望む高潔な組織を作り上げることにあると思います。

そう考えると、私たちの組織が社会に対してどれだけ意味があるのか、あるいはどれだけの成果を上げることができるのか、この問いが、その組織に属するすべての人たちの関心事のはずです。

そして、組織は自分も含め家族、社員、株主、ビジネスパートナー、そしてお客さん、そこに関係するすべての人たちの有意義な人生のためにあります。
一方で、有意義な人生は、結婚であったり、お金であったり、時間であったり、健康であったり、さまざまな個人的要因を含んでいます。
このようなことを絵にすると上のようになります。最終目標は『有意義な人生のために』です。


次はこのツリーのそれぞれの行動(ノード)を目標(ルート)とする、言わば部分木に着目してDCTTを構築しようと思います。




2009年5月8日金曜日

超越の欲求

自己実現とは、ピラミッドで表現されたマズローの欲求階層の頂点に位置する欲求です。
人生において最も高い次元の欲求と言われています。自己実現の欲求は満たされれば満たされるほど大きな達成感と充実感、満足感が得られます。

自分が思い描いた夢や目標を実現させることができれば人生をより有意義に過ごすことができるということです。

人生は一度しかありません。やりたいことを目指そう、あるいは欲しいものを手にしようという生き方です。

これに異論はないのですが、この上に何かあるんじゃないかと日々考えていたら、はたと気がつきました。

天才的なプログラミング能力を持ち、必ず成功するプレゼン力と時間が湧き出るようなマネジメント術を身につけ、たぐいまれなリーダーシップを発揮しうなぎのぼりの業績を続け、それでいて愛する家族に囲まれた幸せな日々を過ごす理想的な人生。それは自己実現の欲求そのものです。

しかし、さらに上に「自分自身を開花させたい」という超越の欲求があると思うのです。
それは今の自分の能力、性格、生き方をも変革し、思い描いている以上の自分、過去と決別した自分、一味も二味も違う想像を遥かに超えた自分になる!という欲求です。

それは自己実現の先にあるものだと思います。


さて、それを手にするにはどうしたらよいのか。

また次回考えたいと思います。



2009年4月21日火曜日

Javaの未来

3月に明らかになったSunの買収劇は、どうやらOracleに落ち着いたようです。

これでOracleはハードウェアを手中に収めたわけです。

DBに加えてJavaとSolaris(OS)を持つことで、企業向けの市場では、かなり優位に立つことになるでしょう。そこにハードウェアも持ったわけですから、今後の動向はますます気になります。

しかしIBMでなくて本当によかったです。OracleならばJavaがかなり興味ある方向に動くことと思います。

もともと、OracleはSunがJavaを打ち出した当初から、Javaを積極的にOracle製品に取り込んできた経緯があります。またSunの持つMySQLの存在も忘れてはいけません。OracleとMySQLがどう融合し進化するのか見ものです。

さらにSunの創業者であるスコット・マクニーリー氏とOracleの創業者であるラリー・エリソン氏はともにビル・ゲイツと戦った間柄で、たぶんウマが合うのでしょう。

これで、万が一にもGoogleと手を結ぶようなことでもあれば個人向けシェアという意味でMicrosoftやAppleを凌ぐ勢いを獲得するのでは?


経済情勢と技術革新は切っても切れない関係にあるということがよく分かります。
自然淘汰のように強いものが影響力を広げ進化し新しいものを生み出していくのでしょう。



2009年4月11日土曜日

Dream Come True Tree


今すべきことは何なのか、あるいは、一体自分は何が望みなのか、論理ツリーを使って客観的に因果関係を整理する方法があります。それは「if .. then .. 」の論理性を検証することで、スタートとゴールを結びます。

願望(ゴール)を達成させるために取るべき具体的な行動と、その行動を実行するための手段(スタート)を明確にするのです。

検証の仕方はこうです。

もし「願望」を達成したいならば、「行動1」かつ「行動2」を行います。逆に「行動1」かつ「行動2」を行うことで、「願望」が達成します。

この「願望」と「行動」の因果関係を抜けがない形で正しく構築できれば、次に手段(あるいは手順)を定めます。

もし「行動1」を実現したいならば、「手段1」かつ「手段2」を定めます。逆に「手段1」かつ「手段2」を定めることで、「行動1」を行うことができます。

もし「行動2」を実現したいならば、「手段3」かつ「手段4」を定めます。逆に「手段3」かつ「手段4」を定めることで、「行動2」を行うことができます。

このように手段を細分化していき、積み上げていくことで、具体的な行動を実行することができます。そして、その行動の成果が夢の実現につながるということです。
ポイントはより簡単な手段に落とし込むことです。小さいことも積もれば大きな成果になるということです。

僕は、これを夢の達成ツリー(Dream Come True Tree)ということでDCTTと名づけました。




2009年3月24日火曜日

見えざる手

アダム・スミスの「国富論」のなかで見えざる手という表現があります。

社会に属するひとりひとりが自分自身のために利益を追求して経済活動を行うことで、社会全体が豊かになるという論法の「欲」を表しています。

あるパン職人がおいしいパンを追求することで、顧客を呼び込み売上を増やし利益を得る労働は、社会においしい焼き立てのパンを提供し、結果的に社会全体の利益にむすびつくという考え方です。

社会のために労働するという動機付けではなく、自分自身の欲の原動力が、社会の発展につながるという、現代の拝金主義を肯定するかのような言葉です。

たとえば子供に、大きくなったら人のために働けと教えるか、はたまた、自分の幸せのために働けと教えるかは難しい選択です。博愛心と甲斐性を同時に満たす教育は可能なのでしょうか。。


見えざる手(=人間の心に潜む欲望)によって突き動かされている市場の上に今の我々の自由主義経済とやらが成り立っていることに、なんだか虚無感を感じます。

今日はそんな心境です。