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2009年9月23日水曜日

ゆるやかな人間関係

ウィークタイズ(weak ties)という言葉がある。社会学者マーク・グラノヴェッター氏による1973年の「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties"という仮説から来ている。

簡単に言えば、たまにしか会わない知り合いだ。例えば同郷の旧友、同じ大学の友人、前職の先輩や同期、子供の友達のお父さん、などなど。
頻繁に交流していた時期もあったが、今は何かの機会に会う程度、しかし再会すると非常に刺激を受ける。

こういう人たちとは日常の依存度が低い割に、すでに信頼関係ができており、たまに会って話すと、思いもよらず情報交換ができる。若いときにはなかなか受け入れられなかった関係も、歳と共にかけがえのないものだと思うようになった。

人的ネットワークでこうした「ゆるやかな人間関係」から得たものは、より密な人間関係よりも有益である。

それはいつも会っている人間関係からは得られない意外性、異質性、見解の相違、新鮮味、思いもよらない観点、などの「ズレ」がいい意味で重要な視点に気づかせてくれるのだろう。自分自身をいつもよりずっと客観的に見せてくれるのだ。

つまり、人間はひとりでいると、あるいは閉塞的な関係に陥っていると、いいアイデアも出ないということである。これは僕の好きなパラダイム・シフトへの入り口のひとつだ。


パラダイム・シフト : 発想の転換。固定観念の破棄。今までの古い見方から新しい見方に変わること。



2009年7月6日月曜日

中学2年生に教えられたこと

休日は娘と近所の児童館で過ごすことが多い。
図書館に併設された区の施設で子供たちの遊び場の少なくなった都会の安全地帯なのだろう。小中学生がみんな自由奔放に遊んでいる。

娘とシンデレラのパズルで遊んでいると、少年が近づいてきて「囲碁やろうよ」と誘ってきた。お、珍しいな、と思った矢先、囲碁はやったことがない。。

少年が五目は?と言って碁石と碁盤を用意している。おもしろい子だな、と思って快諾すると早速打ってきた。売られた勝負は買わなければと、娘を横目に「よし」と打ち出す。
30年ぶりに五目並べをやった。少年がさくさく打ってくるもんだから、頭の回転が追いつかず1戦目は取られた。

「小学生?」と聞くと「中2」と。いまどきの中学生が囲碁か。。実は今年に入って囲碁がやりたいと思っていた。でも時間と相手がいない。。


五目でもいいやと受けて立ったが、これが結構面白い。相手の打つ位置を見て連なる石の方向から相手の動きを読んで並びを妨げる。そして、気が付かれないように仕掛ける。
結構熱くなった。2戦目に僕が勝ち少年も熱くなったようだ。少年が「俺と互角だな」と。ふふふ、伊達に大人はやってないよ。

何戦か交えるうちに、相手の手の内が読めてきた。少年は打つ石を好き放題に広げる。広げて並びそうな交点を拡散する。よく見ていないと忘れてしまう。
しかし忘れる頻度は少年も同じだった。碁盤の中の石はお互いにすべてを包み隠さず見せているわけだが、自分の手を進めていくうちに相手の行動が記憶から遠のいてしまうのだ。
重要なのは相手の動きと並びそうな線の組み合わせを読み、伸びる並びを阻止して、自分の手を仕込むこと。おもしろい。

後で調べたらできるだけ外に広がるように打つのはセオリーらしい。そして自由に好き勝手打てる先手のほうが有利なのだそうだ。少年が先手を取った回数が多いじゃないかと思い出したのは負けず嫌いの証拠かな。

ちなみに2つの石の並びからひとつ飛び越えて3つを並べた状態を「飛び三」(とびさん)という。

先を読み「飛び三」を交えて並びの可能性を広げていく攻めと相手の動きを予測して並ばせない守り、まさに相手に見えないものを先に見るというところは経営戦略と同じじゃないかと気付かされた。
そして、何よりも物事を大局的に捉える大切さ、「木を見て森を見ず」の状態が負け(失敗)の要因になることを実感した。盤を「よく見る」とはこういうことなのか。

ほんの小一時間だったけど新鮮だった。


ウィキペディアで調べると囲碁とかオセロ、連珠(五目並べ)はアブストラクトゲーム (Abstract Games) というらしい。説明はウィキペディアより引用すると、

広義には、名前通り抽象的(アブストラクト)で、元となった現実の出来事など(テーマ)とゲームの内容とが余り関係のないものになっているゲーム、あるいは具体的なテーマが全く存在しないゲームを指す。ただし、トランプゲームやカードゲームは含まれない。
狭義には、上に加えて
  • 偶然が関与しない
  • ゲーム内の全ての情報が公開されている
  • ルールが明解で解釈の余地はない
といった条件を満たすものを指す。


何がいいって、このAbstractという響きがいい。(Javaをやっている人には分かるよね)



2009年6月27日土曜日

1Q84

実は僕は、世界中で村上春樹の書く小説がもっとも好きです。20年前に「風の歌を聴け」を読んで以来、彼のすべての作品(エッセイも含めて)は読み倒しています。
なにが嬉しいって、彼と同じ時代を生きている喜びです。生きている限り彼の新作が読めるのです。

5年ぐらいの周期で繰り返し繰り返し「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。思い立つと読み返したくなるのです。不思議に。

当然、先月出版された「1Q84」もAmazonで予約購入し読みました。


今日、読み終えて率直な感想を言わせてもらえればこうです。

娘を持つ父として、なぜこの本が100万部も売れるのか理解に苦しみます。

が、メッセージは受け取りました。(これがファンのなせる業です)



人の価値観は人の数だけ存在します。それは善悪ではないということは周知の事実です。もし法がある人の価値観で成り立っていたとしたら世の中の根底が揺らぎ崩れます。それほど、人の価値観は危ういものなのです。心の闇、感情の起伏、本当の自分は自分にしか分からないと思っている自我、弱く、欲深く、やっかいなものです。

もし、そんな、あやふやな判断基準の上に生活があり、経済があり、人生があるとしたら。。  いえ、 あるのです。

やっかいな人間が作り出した家庭があり、組織があり、集団があり、社会があるのです。


ですが、村上春樹の言わんとしていることは、僕なりにこう解釈しました。

当事者の心のフィルターを通さない事実は、真実ではない、ということです。

仮に一般論としての悪を内在する人間が現実に一般論としての悪に走ったとしても、当本人の価値観にその悪を認めるところがなければ、どんなに裁いてもそこに意味はありません。

そして、ひょっとしたら、悪を決めるのは多数決なのかもしれません。


そんな、現代社会の危うさを感じました。



2008年11月3日月曜日

ドストエフスキー

きのう、子供の観ていた「サザエさん」を何気なく一緒に観ていたら、波平が「罪と罰」を読んでいて「昔読んだときよりも、ずっとスラスラ読める。それだけ歳を取ったのか」というようなことを話すシーンがありました。

僕も大学受験の頃、暗い青春を演じて、なんとなく読んでみたものです。むずかしかった~。あの頃からは十分時間が経ったのでスラスラ読めるかも。古典文学の新訳ブームですし。

 

選ばれた天才の個人的価値観は、大衆を超越してコントロールすることが許される、という人間の欲と良心の呵責を題材にしています。

この話は、どこか現代社会の偏った風潮にも通じている気がします。豊かさの象徴である富は、その分配ルールを決めた一部の選ばれた人間に、より多く流れていくという構造が、自由経済という名のもとでシステマティックに確立しているという点です。まるでピラミッドの底辺は頂点を支えるためだけに存在する、と言っているようです。ラスコーリニコフのようにいずれは考えを改めないことには社会は崩れます。 

【訂正】いえ、改めるというよりは、その成り立ちは不公平だとネガティブに捉えるのではなく、いいこともあるさ、と前向きに考えたほうがいいというものです。なにしろ不満を口にするだけでは取り巻く環境は変わりませんから。

変えようとする勇気が大切です。



2008年9月9日火曜日

リゾナーレ

先週末、休みを取って、家族で八ヶ岳連峰のふもとに位置する『リゾナーレ』というリゾートホテルに行って来ました。
緑に囲まれた空気の澄んだところで、落ち着いた静かなたたずまいと、行き届いたサービスが、心身ともにリフレッシュさせてくれます。
特別な休日を満喫することができました。お薦めですよ。

子供もリフレッシュの様子。

2008年7月7日月曜日

バーベキュー

7月5日(土)に国営武蔵丘陵森林公園[http://www.shinrin-koen.go.jp/]に遊びに行きました。社員全員が参加することができて本当によかったです。
企画してくれた、西山くん、筒井くん、ありがとう。
みんな楽しんでくれたようで、リフレッシュできました。

たまにはこういうのもいいね。

この公園には水遊び場やアスレチックなど、施設も充実していて、連れて行った子供もおおはしゃぎです。