成功の条件は「情熱」と「能力」と「契機」である。これは記憶によればピーター・ドラッカーの言葉だ。しかしいつのまにか体が覚えている。
僕が最初にソフトウェアの世界に入ったのは1994年。それから15年。取り巻く技術キーワードとスタイルは多様化している。しかしその本質はなにも変わっていない。効果的な仕事の進め方、設計の重要性、コーディングがソフトウェアの品質を左右する理由、テストとバグの関係、リリース手順の明確化などなど、どれも実務的なものの考え方は同じである。ピーター・ドラッカー流に言えばこれらの職業観が変わるときに産業構造が大きな転換を迎えることになるのかもしれない。
僕が最初に触れたコンピュータ言語はCだった。Cの文法を学び、構造体を学び、ポインタを学んだ。それらのひとつひとつの技術要素は、コンピュータを知る上での玄関口だった。柔道に例えれば技(わざ)の習得である。形から乱取、実戦と進むことが、コンピュータの世界ではアルゴリズムなどの基本を知ることであり、データベースやネットワークなどの応用を使い倒すことであり、最終的にはシステムを開発する能力を身に付けることである。
これらの学びの道は仕事を通してさらに磨かれプロフェッショナルになっていく。そこには意欲的に打ち込む動機付けが存在する。好きとか楽しいとか知りたいとか人間的な基本欲求である。これが基盤となってやりがいを感じて「情熱」を持ち仕事に没頭する。
僕が働き出した最初の6年間は、この情熱の塊だったというつもりはない。つらいことの方が多かった。同期に先を越され、お客さんに詰め寄られ、上司に叱られ、残業続きで金よりも時間がほしいと思ったものだ。しかしこれらの苦い経験が厳しさと責任と根性を教えてくれた。自分はこの仕事に合っているのか、と何度、自問したことか。
しかしそれでもコンピュータの世界は知的好奇心をくすぐる宝庫だ。作ろうと思えば何でもできるこの世界が好きなのだ。アイデアしだいで何でもできる。それがインターネットにつながり無限とも言える広がりを持つことの魅力がたまらない。
こんな世界に浸かっていると知らず知らずに「能力」が身に付き、信頼を知り、仲間ができる。
それは時間をかけて「情熱」を傾けることで「能力」が開花するという意味である。
このようにして「情熱」と「能力」は手に入れた。もちろんこれらにゴールはない。さらに上に行く。
そして最近「契機」を考える。きっかけ、チャンス、偶然、タイミング。契機とはなんなのか。
(つづく)
2009年7月11日土曜日
ピンで生きる
ピンとはポルトガル語のpinta(点の意味)を語源とする「ひとり」という意味である。
ピン芸人と言えば想像は容易いだろう。
僕の根底にはいつも「ピンで生きる」がある。なぜか。それは39年間、人間をやってきて知った揺ぎ無い現実であり、挑戦であり、原動力だからだ。けっして、ひとりで生きていくという意味ではない。
自らの心得として改めて考えようと思う。
まず、利害関係の本質は助け合いではない。利害関係とは平たく言えば損得勘定である。需要と供給が合致する等価交換である。
それはビジネスであり、経済であり、生活である。
知るべきことは、自分がいったい何で生計を立てているかである。
これは人類が誕生したときから必ずや繰り返されている人間学だ。
たとえば、自分が失敗したときに周りの人間にどこまで甘えが許されるかを考えれば明白だと思う。その甘えは期限付きなのだ。その期限の長さはお互いの信頼関係の深さで決まる。
困ったときに助けてもらうことは「信頼」を引き出す行為であり、上手くいっているときは無条件で「信頼」を貯めていくことが大切なのである。
子供にはできないことだ。
「ピンで生きる」とは、ひとりひとりがこの他者との信頼関係の深さを意識して生きていくということである。
信頼はあるときはマナー、あるときは相談、あるときは約束、あるときは情熱、あるときは能力、あるときは品質、あるときはお金、さまざまな様相に取って代わる。
そこに重要なものはタフでシビアでオリジナリティのある生き様だ。つまり、へこたれず厳しさを持ち合わせた誰にも真似のできない自分らしさ。そこに妥協や諦め、甘えや依存、羞恥や恐れ、不平や打算はない。偽りのない行動があるのみだ。
そしてなによりも「信頼」を貸し借りではなく無償の愛として尽きることのないものとすることが大切だ。
この「ピンで生きる」行動があってはじめて「組織」の個が光り輝くのだと信じて止まない。
ピン芸人と言えば想像は容易いだろう。
僕の根底にはいつも「ピンで生きる」がある。なぜか。それは39年間、人間をやってきて知った揺ぎ無い現実であり、挑戦であり、原動力だからだ。けっして、ひとりで生きていくという意味ではない。
自らの心得として改めて考えようと思う。
まず、利害関係の本質は助け合いではない。利害関係とは平たく言えば損得勘定である。需要と供給が合致する等価交換である。
それはビジネスであり、経済であり、生活である。
知るべきことは、自分がいったい何で生計を立てているかである。
これは人類が誕生したときから必ずや繰り返されている人間学だ。
たとえば、自分が失敗したときに周りの人間にどこまで甘えが許されるかを考えれば明白だと思う。その甘えは期限付きなのだ。その期限の長さはお互いの信頼関係の深さで決まる。
困ったときに助けてもらうことは「信頼」を引き出す行為であり、上手くいっているときは無条件で「信頼」を貯めていくことが大切なのである。
子供にはできないことだ。
「ピンで生きる」とは、ひとりひとりがこの他者との信頼関係の深さを意識して生きていくということである。
信頼はあるときはマナー、あるときは相談、あるときは約束、あるときは情熱、あるときは能力、あるときは品質、あるときはお金、さまざまな様相に取って代わる。
そこに重要なものはタフでシビアでオリジナリティのある生き様だ。つまり、へこたれず厳しさを持ち合わせた誰にも真似のできない自分らしさ。そこに妥協や諦め、甘えや依存、羞恥や恐れ、不平や打算はない。偽りのない行動があるのみだ。
そしてなによりも「信頼」を貸し借りではなく無償の愛として尽きることのないものとすることが大切だ。
この「ピンで生きる」行動があってはじめて「組織」の個が光り輝くのだと信じて止まない。
2009年7月6日月曜日
中学2年生に教えられたこと
休日は娘と近所の児童館で過ごすことが多い。
図書館に併設された区の施設で子供たちの遊び場の少なくなった都会の安全地帯なのだろう。小中学生がみんな自由奔放に遊んでいる。
娘とシンデレラのパズルで遊んでいると、少年が近づいてきて「囲碁やろうよ」と誘ってきた。お、珍しいな、と思った矢先、囲碁はやったことがない。。
少年が五目は?と言って碁石と碁盤を用意している。おもしろい子だな、と思って快諾すると早速打ってきた。売られた勝負は買わなければと、娘を横目に「よし」と打ち出す。
30年ぶりに五目並べをやった。少年がさくさく打ってくるもんだから、頭の回転が追いつかず1戦目は取られた。
「小学生?」と聞くと「中2」と。いまどきの中学生が囲碁か。。実は今年に入って囲碁がやりたいと思っていた。でも時間と相手がいない。。
五目でもいいやと受けて立ったが、これが結構面白い。相手の打つ位置を見て連なる石の方向から相手の動きを読んで並びを妨げる。そして、気が付かれないように仕掛ける。
結構熱くなった。2戦目に僕が勝ち少年も熱くなったようだ。少年が「俺と互角だな」と。ふふふ、伊達に大人はやってないよ。
何戦か交えるうちに、相手の手の内が読めてきた。少年は打つ石を好き放題に広げる。広げて並びそうな交点を拡散する。よく見ていないと忘れてしまう。
しかし忘れる頻度は少年も同じだった。碁盤の中の石はお互いにすべてを包み隠さず見せているわけだが、自分の手を進めていくうちに相手の行動が記憶から遠のいてしまうのだ。
重要なのは相手の動きと並びそうな線の組み合わせを読み、伸びる並びを阻止して、自分の手を仕込むこと。おもしろい。
後で調べたらできるだけ外に広がるように打つのはセオリーらしい。そして自由に好き勝手打てる先手のほうが有利なのだそうだ。少年が先手を取った回数が多いじゃないかと思い出したのは負けず嫌いの証拠かな。
ちなみに2つの石の並びからひとつ飛び越えて3つを並べた状態を「飛び三」(とびさん)という。
先を読み「飛び三」を交えて並びの可能性を広げていく攻めと相手の動きを予測して並ばせない守り、まさに相手に見えないものを先に見るというところは経営戦略と同じじゃないかと気付かされた。
そして、何よりも物事を大局的に捉える大切さ、「木を見て森を見ず」の状態が負け(失敗)の要因になることを実感した。盤を「よく見る」とはこういうことなのか。
ほんの小一時間だったけど新鮮だった。
ウィキペディアで調べると囲碁とかオセロ、連珠(五目並べ)はアブストラクトゲーム (Abstract Games) というらしい。説明はウィキペディアより引用すると、
何がいいって、このAbstractという響きがいい。(Javaをやっている人には分かるよね)
図書館に併設された区の施設で子供たちの遊び場の少なくなった都会の安全地帯なのだろう。小中学生がみんな自由奔放に遊んでいる。
娘とシンデレラのパズルで遊んでいると、少年が近づいてきて「囲碁やろうよ」と誘ってきた。お、珍しいな、と思った矢先、囲碁はやったことがない。。
少年が五目は?と言って碁石と碁盤を用意している。おもしろい子だな、と思って快諾すると早速打ってきた。売られた勝負は買わなければと、娘を横目に「よし」と打ち出す。
30年ぶりに五目並べをやった。少年がさくさく打ってくるもんだから、頭の回転が追いつかず1戦目は取られた。
「小学生?」と聞くと「中2」と。いまどきの中学生が囲碁か。。実は今年に入って囲碁がやりたいと思っていた。でも時間と相手がいない。。
五目でもいいやと受けて立ったが、これが結構面白い。相手の打つ位置を見て連なる石の方向から相手の動きを読んで並びを妨げる。そして、気が付かれないように仕掛ける。
結構熱くなった。2戦目に僕が勝ち少年も熱くなったようだ。少年が「俺と互角だな」と。ふふふ、伊達に大人はやってないよ。
何戦か交えるうちに、相手の手の内が読めてきた。少年は打つ石を好き放題に広げる。広げて並びそうな交点を拡散する。よく見ていないと忘れてしまう。
しかし忘れる頻度は少年も同じだった。碁盤の中の石はお互いにすべてを包み隠さず見せているわけだが、自分の手を進めていくうちに相手の行動が記憶から遠のいてしまうのだ。
重要なのは相手の動きと並びそうな線の組み合わせを読み、伸びる並びを阻止して、自分の手を仕込むこと。おもしろい。
後で調べたらできるだけ外に広がるように打つのはセオリーらしい。そして自由に好き勝手打てる先手のほうが有利なのだそうだ。少年が先手を取った回数が多いじゃないかと思い出したのは負けず嫌いの証拠かな。
ちなみに2つの石の並びからひとつ飛び越えて3つを並べた状態を「飛び三」(とびさん)という。
先を読み「飛び三」を交えて並びの可能性を広げていく攻めと相手の動きを予測して並ばせない守り、まさに相手に見えないものを先に見るというところは経営戦略と同じじゃないかと気付かされた。
そして、何よりも物事を大局的に捉える大切さ、「木を見て森を見ず」の状態が負け(失敗)の要因になることを実感した。盤を「よく見る」とはこういうことなのか。
ほんの小一時間だったけど新鮮だった。
ウィキペディアで調べると囲碁とかオセロ、連珠(五目並べ)はアブストラクトゲーム (Abstract Games) というらしい。説明はウィキペディアより引用すると、
広義には、名前通り抽象的(アブストラクト)で、元となった現実の出来事など(テーマ)とゲームの内容とが余り関係のないものになっているゲーム、あるいは具体的なテーマが全く存在しないゲームを指す。ただし、トランプゲームやカードゲームは含まれない。
狭義には、上に加えてといった条件を満たすものを指す。
- 偶然が関与しない
- ゲーム内の全ての情報が公開されている
- ルールが明解で解釈の余地はない
何がいいって、このAbstractという響きがいい。(Javaをやっている人には分かるよね)
2009年6月30日火曜日
ゴールはいつも始まり
うちのメンバが今年の春に行われた応用情報技術者試験に合格しました。
おめでとう!
これは本当に喜ばしいことです。この道を進む者としてなにより誇りになると自信を持って断言できます。
これは誰のおかげでもなくあなた自身が勝ち取った未来です。
こんな話があります。空手だか柔道だかで師匠に認められて黒帯を手にするときに、師匠が弟子に黒帯の意味を問いました。
師匠は言いました。「この黒帯を受け取る前にそなたの心境を聞かせてほしい」
弟子「いま最高の気持ちです。黒帯は言わば大いなる山を登りつめた証です」
すると師匠は「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はさらに一年修行を積んだそうです。
翌年、さらに力を付けた弟子を前にして師匠が「今年こそ黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」
すると、弟子は「黒帯は達成の象徴です。いま充実感でいっぱいです」と答えました。
師匠は再び「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はまたさらに一年修行を積んだそうです。
翌年、さらに大きな力を付けた弟子を前にして師匠が「黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」
すると、弟子は「まだこの道を究めてはおりません。まだまだやることがあります」と言いました。
師匠は「よくぞ悟った。ここから始まるのじゃ」と言って黒帯を渡したそうです。
ポイントは過去より現在、現在より未来を、ということです。
ゴールはいつも始まりなのです。
おめでとう!
これは本当に喜ばしいことです。この道を進む者としてなにより誇りになると自信を持って断言できます。
これは誰のおかげでもなくあなた自身が勝ち取った未来です。
こんな話があります。空手だか柔道だかで師匠に認められて黒帯を手にするときに、師匠が弟子に黒帯の意味を問いました。
師匠は言いました。「この黒帯を受け取る前にそなたの心境を聞かせてほしい」
弟子「いま最高の気持ちです。黒帯は言わば大いなる山を登りつめた証です」
すると師匠は「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はさらに一年修行を積んだそうです。
翌年、さらに力を付けた弟子を前にして師匠が「今年こそ黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」
すると、弟子は「黒帯は達成の象徴です。いま充実感でいっぱいです」と答えました。
師匠は再び「まだ黒帯を渡すわけにはいかない」と言い、弟子はまたさらに一年修行を積んだそうです。
翌年、さらに大きな力を付けた弟子を前にして師匠が「黒帯を渡そう。今の心境を聞かせてほしい」
すると、弟子は「まだこの道を究めてはおりません。まだまだやることがあります」と言いました。
師匠は「よくぞ悟った。ここから始まるのじゃ」と言って黒帯を渡したそうです。
ポイントは過去より現在、現在より未来を、ということです。
ゴールはいつも始まりなのです。
2009年6月27日土曜日
1Q84
実は僕は、世界中で村上春樹の書く小説がもっとも好きです。20年前に「風の歌を聴け」を読んで以来、彼のすべての作品(エッセイも含めて)は読み倒しています。
なにが嬉しいって、彼と同じ時代を生きている喜びです。生きている限り彼の新作が読めるのです。
5年ぐらいの周期で繰り返し繰り返し「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。思い立つと読み返したくなるのです。不思議に。
当然、先月出版された「1Q84」もAmazonで予約購入し読みました。
今日、読み終えて率直な感想を言わせてもらえればこうです。
娘を持つ父として、なぜこの本が100万部も売れるのか理解に苦しみます。
が、メッセージは受け取りました。(これがファンのなせる業です)
人の価値観は人の数だけ存在します。それは善悪ではないということは周知の事実です。もし法がある人の価値観で成り立っていたとしたら世の中の根底が揺らぎ崩れます。それほど、人の価値観は危ういものなのです。心の闇、感情の起伏、本当の自分は自分にしか分からないと思っている自我、弱く、欲深く、やっかいなものです。
もし、そんな、あやふやな判断基準の上に生活があり、経済があり、人生があるとしたら。。 いえ、 あるのです。
やっかいな人間が作り出した家庭があり、組織があり、集団があり、社会があるのです。
ですが、村上春樹の言わんとしていることは、僕なりにこう解釈しました。
当事者の心のフィルターを通さない事実は、真実ではない、ということです。
仮に一般論としての悪を内在する人間が現実に一般論としての悪に走ったとしても、当本人の価値観にその悪を認めるところがなければ、どんなに裁いてもそこに意味はありません。
そして、ひょっとしたら、悪を決めるのは多数決なのかもしれません。
そんな、現代社会の危うさを感じました。
なにが嬉しいって、彼と同じ時代を生きている喜びです。生きている限り彼の新作が読めるのです。
5年ぐらいの周期で繰り返し繰り返し「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。思い立つと読み返したくなるのです。不思議に。
当然、先月出版された「1Q84」もAmazonで予約購入し読みました。
今日、読み終えて率直な感想を言わせてもらえればこうです。
娘を持つ父として、なぜこの本が100万部も売れるのか理解に苦しみます。
が、メッセージは受け取りました。(これがファンのなせる業です)
人の価値観は人の数だけ存在します。それは善悪ではないということは周知の事実です。もし法がある人の価値観で成り立っていたとしたら世の中の根底が揺らぎ崩れます。それほど、人の価値観は危ういものなのです。心の闇、感情の起伏、本当の自分は自分にしか分からないと思っている自我、弱く、欲深く、やっかいなものです。
もし、そんな、あやふやな判断基準の上に生活があり、経済があり、人生があるとしたら。。 いえ、 あるのです。
やっかいな人間が作り出した家庭があり、組織があり、集団があり、社会があるのです。
ですが、村上春樹の言わんとしていることは、僕なりにこう解釈しました。
当事者の心のフィルターを通さない事実は、真実ではない、ということです。
仮に一般論としての悪を内在する人間が現実に一般論としての悪に走ったとしても、当本人の価値観にその悪を認めるところがなければ、どんなに裁いてもそこに意味はありません。
そして、ひょっとしたら、悪を決めるのは多数決なのかもしれません。
そんな、現代社会の危うさを感じました。
2009年6月24日水曜日
役割と責任と富の分配
「高みを望む高潔な組織を作り上げる」という大いなる目標の具体的な形を見つけました!
その会社の名は「株式会社21(トゥーワン)」。
テレビ東京毎週月曜日22時「カンブリア宮殿」で紹介され、長い間うやむやにされてきた真実を初めて知ったときの少年のようにテレビに釘付けでした。
私の夢がすでにこういう形で実現されていることに驚いたと同時に、疑いの余地のない確かな目標としてロックオンされました。
株式会社21(トゥーワン)とは広島に本社を置くメガネ屋さんです。掲げるミッションステートメントは「社員の幸せ」。難しいことはああだこうだと考えない、ということです。
驚いたことに会社の利益はすべて社員の給与と価格値下げに注がれ、年商80億あまりあるにも関わらず経常利益が数万円というのです。
怪しい経営でマルサがはいったほど。社員のボーナスは500万円を超えることも。なぜこれほどまでに社員に還元しているのか、その経営哲学が面白い。
社長さん曰く「内部留保ほど馬鹿らしく会社を消沈させるものはない。利益は余すことなくお客さんと社員に還元すべし」(個人的解釈済み)
内部留保とは簡単に言えば、決算で生じた利益を蓄えることで、会社経営上現金が必要なときに充当する資金になります。
経営では、決算で利益が上がっても現金がなければ会社を維持することはできません。支払いに対して入金は遅れるものだからです。
この資金のやりくりを資金繰りと言います。
株式会社21(トゥーワン)のすごいところは、会社に資金を残すことなく全額を社員に還元し、現金が必要なときには社員から借りる仕組みができているところです。
会社は社員の力によって、維持、発展され、資金繰りさえも社員によって支えられているというのです。
銀行からも借りず、社長の年収も社員と同等にして、役割と責任と富の分配が完全な民主主義の形態で構築されているのです。
ただ、不況時は社員に耐えてもらうこともあります。無給で働くこともあるでしょう。ですがこれは、いいときも悪いときも、言わばリスクもリターンも平等ということです。
感動を覚えました。
社員は会社を本当の意味での人生の一部にしているということを実感したのです。社員という個人が頑張らないで誰が会社を成り立たせるというのでしょうか。お金という現代社会の価値の交換の意味を本当の意味で理解できました。
私はこのような「会社」と「個人」が現実の生活として一体となるような組織を作り上げたい。
その会社の名は「株式会社21(トゥーワン)」。
テレビ東京毎週月曜日22時「カンブリア宮殿」で紹介され、長い間うやむやにされてきた真実を初めて知ったときの少年のようにテレビに釘付けでした。
私の夢がすでにこういう形で実現されていることに驚いたと同時に、疑いの余地のない確かな目標としてロックオンされました。
株式会社21(トゥーワン)とは広島に本社を置くメガネ屋さんです。掲げるミッションステートメントは「社員の幸せ」。難しいことはああだこうだと考えない、ということです。
驚いたことに会社の利益はすべて社員の給与と価格値下げに注がれ、年商80億あまりあるにも関わらず経常利益が数万円というのです。
怪しい経営でマルサがはいったほど。社員のボーナスは500万円を超えることも。なぜこれほどまでに社員に還元しているのか、その経営哲学が面白い。
社長さん曰く「内部留保ほど馬鹿らしく会社を消沈させるものはない。利益は余すことなくお客さんと社員に還元すべし」(個人的解釈済み)
内部留保とは簡単に言えば、決算で生じた利益を蓄えることで、会社経営上現金が必要なときに充当する資金になります。
経営では、決算で利益が上がっても現金がなければ会社を維持することはできません。支払いに対して入金は遅れるものだからです。
この資金のやりくりを資金繰りと言います。
株式会社21(トゥーワン)のすごいところは、会社に資金を残すことなく全額を社員に還元し、現金が必要なときには社員から借りる仕組みができているところです。
会社は社員の力によって、維持、発展され、資金繰りさえも社員によって支えられているというのです。
銀行からも借りず、社長の年収も社員と同等にして、役割と責任と富の分配が完全な民主主義の形態で構築されているのです。
ただ、不況時は社員に耐えてもらうこともあります。無給で働くこともあるでしょう。ですがこれは、いいときも悪いときも、言わばリスクもリターンも平等ということです。
感動を覚えました。
社員は会社を本当の意味での人生の一部にしているということを実感したのです。社員という個人が頑張らないで誰が会社を成り立たせるというのでしょうか。お金という現代社会の価値の交換の意味を本当の意味で理解できました。
私はこのような「会社」と「個人」が現実の生活として一体となるような組織を作り上げたい。
2009年6月16日火曜日
偉大なるGmail
僕も含めてうちのメンバは全員Gmailのヘビーユーザです。
使っているというか、もうこれがないとメールが整理できないほど依存しています。ひとたびGmailがトラブルに見舞われると精神的に大きなダメージをこうむります。。
幸か不幸か、そんなGmailの受信トレイはキューイングされたTODOリストにしか見えません。
この受信トレイをすっきりさせることが=(イコール)仕事の進捗です。「アーカイブ」ボタンを押すときが至福の幸せ。
帰宅した深夜も通勤時間も休日も、PCでも携帯でも、いつもGmailです。ポイントはいかに受信トレイに溜めないかです。
夢は受信トレイにメールが1件もないこと。
使っているというか、もうこれがないとメールが整理できないほど依存しています。ひとたびGmailがトラブルに見舞われると精神的に大きなダメージをこうむります。。
幸か不幸か、そんなGmailの受信トレイはキューイングされたTODOリストにしか見えません。
この受信トレイをすっきりさせることが=(イコール)仕事の進捗です。「アーカイブ」ボタンを押すときが至福の幸せ。
帰宅した深夜も通勤時間も休日も、PCでも携帯でも、いつもGmailです。ポイントはいかに受信トレイに溜めないかです。
夢は受信トレイにメールが1件もないこと。
登録:
投稿 (Atom)